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ツヨシ、しっかりしなさい!! テニス侍&ジョグ侍ツヨシです!<記録>フル3'38"58('09.04かすみがうら)ハーフ1'35"50('09.04焼津)10k40'48('09.05葛西臨海公園)

テニス侍
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帰ってきなさい

こんばんは。東京はずっと暖かい日が続くようで、昼間は
もう暑いくらいですね。GW中なんですが、電車はふだんと
変わらない混雑ぶりでした。明日くらいから空いてくるのかな?!

さて先日ある本で発見したのが「曜日占い」。自分の生まれた
曜日ってみなさんはご存じですよね?私は全然知らなかったので
早速こちらのページで調べてみると・・「金曜日」生まれ
でした!!これからは金曜日には特にいいことがあるぞーと
思えるだけで、少しトクした気分になれるかもしれません。
あとタイなど東南アジア諸国では、生まれた曜日ごとに性格の
特徴を分けて相性などを占っているそうで、ちなみに「金曜日」
生まれの人は、「感受性が豊か、オープンな性格で友人を作る
のがうまく、常に楽しいことを求めて行動する」そうなのですが、
これ当たっていますでしょうか・・。自分としては思い当たる
フシなくもなく、といったところです。訳もなくおもしろいので、
皆さんも試してみてはいかがでしょうか。

さて今週発売の政治雑誌「WiLL」6月号のうち、作詞家の
秋元 康さんのコラムにとても感心しましたので、ちょっと
ご紹介したいと思います。秋元さんが3年ほど前から教授を
されている京都の芸大の理事長、徳山詳直(しょうちょく)さん
が、今年の卒業式で学生たちに贈った言葉についてです。

「縁あって、去年、京都造形芸術大学の副学長に就任した。
浅学非才な僕には荷が重いと、お断りしたのだが、何度か
京都に足を運ぶうちに、引き受けようと思った。この
大学のキャンパスに三十数年前の自分を見つけたからだ。
何をしたいのか?どこへ向かえばいいのか?それすら
わからなかったあの頃。タイムマシンに乗って、あの頃の
僕に力を貸したいと思った。(中略)

今年の卒業式で、最後に理事長から卒業生に贈る言葉があった。

『これから、あなたたちには、幾多の試練が待ちうけている
でしょう。絶望することもあるでしょう。死にたくなることも
あるでしょう。でも、そんな時は、この大学のことを思い出して
ください。どんな状況でも、大学はあなたを受け入れます。
自暴自棄にならず、とにかく、大学に帰って来てください。
この大学は、あなたたちの帰る場所です』

文言は正確ではないが、そういう意味合いの贈る言葉だった。

齢七十七歳の理事長は、ステッキを突きながら壇上を去る時も、
何度も立ち止まっては、『帰って来なさい』と訴えた。舞台
袖に退場する直前も、もう一度、客席の学生たちに目で約束
させた。

僕が生涯で一番、感動したスピーチだった。」

秋元 康「WiLL」2008年6月号・29ページ

この言葉、すごくずっしりとくることばですね。ふと自分の
社会人1年目の春を思い出してしまいました。そして老骨の
理事長が「帰って来なさい」と言ってくれる大学では、きっと、
本当に優しくて勇気のある人間が育つだろうなと思いました。
「帰ってくるんだよ」、翻って私はいつか、安心して帰ってこれる
場所を築き、こんな言葉を贈れる人になれるのだろうか。

ではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

日焼け止め

こんばんは。きのうも今日も日中はよいお天気でしたね。
おかげでテニスとランニングをたっぷり楽しめましたよ。
土日とも昼までいつもの葛飾はるさんのところでダブルス
させてもらい、そのまま家に戻って葛西臨海公園までランニング。
昨日は河口まで約9キロ、今日は公園内JR駅までの往復で
約12キロでした。ちなみに走り始めて最初のころは
距離がわからないので、時間から逆算していましたが
今はスグレものを発見して利用しています!その名も
キョリ測」、詳細な道路地図をクリックしていくだけで
正確な距離が測れます。皆さんもぜひ利用してみてください。

あと2日ともくもりから薄晴れ程度なのに、紫外線は強いですね~。
今年からある方に勧められて、資生堂の日焼け止めクリームを
使っているんですが、ずいぶん長時間効果が続くので安心して
外でプレイしています。しかし今日はつい塗るのを忘れて・・、
首元や腕がかなりヒリヒリしています。特に最近は日光を浴び
過ぎると皮膚障害のみならず血液や臓器まで影響が出る可能性が
高いそうなので、少しケアしたほうが良いかと思ってます。

さて先日読んだ新書は『こんな募金箱に寄付してはいけない』
というもので、私の最近の関心事に近く非常に興味をもって
読めました。寄付や募金、ボランティアといった善意を形に
表す行動が、常に「ひとりよがり」や「独善」に陥りやすく
また誤解も受けやすいこと、また自発的に提供したり参加した
そのお金や活動が、いったいどんな意味を持つのか、
その「出口」を常に自問することが大切なのだ、と強調されて
いて強く共感しました。

「ボランティアや社会貢献活動に関心を持つ人が増えていると
いわれます。関心がありつつも、具体的な行動に移せないと
いう人も多いようです。

その理由として、何から始めていいかわからないというのが
あるでしょう。と同時に、ボランティアとは一方的に献身
する人、あるいは偽善的、自己満足といった偏ったイメージを
持っている人が多いからではないでしょうか。(中略)

現代は様々な情報が氾濫する時代です。その中で『善意』や
『正論』を前面に出さざるを得ない活動をするわけですから、
多くの人がある種の押し付けがましさを感じ、かえって
不信感につながってしまっているのかもしれません。」

「募金や寄付をする側として、気持ちよく協力するには、
どこにポイントを置いたらいいでしょうか。そのためには、
団体の情報を集め、寄付したお金の行方に対しての
説明責任を求めること。そして、それを求めすぎないこと。
これに尽きるような気がします。

一見矛盾していますが、どんな団体か、あるいは何に使われるか
わからないところに、1円たりともお金は出したくないのは
誰でも同じでしょう。まずはどんな団体か知るというのは、
基本中の基本です。(中略)

『誰かのため』『何かのため』ではなく、取り組む課題が解消
した結果は何をもたらしてくれるのか。少しでもよい社会を
作ることがめぐりめぐって、自分たちの暮らしを豊かにして
くれるのではないか。そういった視点で支援先を選ぶと、
団体を選ぶ目も変わってくるかもしれません。」

筑波君枝『こんな募金箱に寄付してはいけない』青春出版社

共通の意識を持った仲間ができたり、新しい知識や技術を
身に付けて自分の世界が広がり成長できるなど、始まりは
誰かのため何かのためにしていたつもりが、実は結果的に
自分のためにもなる・・。こんな良い循環を理解した人々が
徐々にでも広がればとてもいいと思いました。

一人ひとりはごく小さな存在の私たちですが、「よりよい
社会」を目指す力が、権力や体面からの押しつけではなく
自主的に集まれば、山積する課題にも必ず答えがみつかる
はず。私も最近おぼろげに考えていることを、具体的な
試みに移していこうと思っています。始めたらまたご紹介
しますので、賛同いただける方はぜひ応援してくださいね。

それではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 22:13 | コメント(4)| トラックバック(0)

マットレス

こんばんは。今日は少し晴れ間が出たりと穏やかなお天気でしたね、
風も無かったし。朝などかなり暖かくなってきたので、これからは
早朝ランをしようかな!?起きれれば・・。

そうそう昨日「ランナーズ」6月号を読んでいたら、日本陸連が
6月に一般向けのランニング教室を開催するらしく、とりあえず
早速申し込んでみました。1日(日)午前10時、場所はあの
国立競技場!!。憧れの国立で自分が走れるとは、かなり嬉しいです。
それにレベル別に分けて細かくフォームなどを指導してもらえる
そうなので、もし読んでいらっしゃる方でこれからちょっと走って
みようかな~、などと思っていらっしゃる方は、こちらから
応募してみてはいかがでしょうか。。

さてもうお楽しみの週末ですね!!今週はバタバタしていて特に
あっという間でした。土日ともテニスとランニングの予定、それに
読みたい本がたくさん積んであります~~。そうそう来週からは
飛び石のGWが始まるんですよね。ツヨシ家は今年特に予定もなく、
近くで食事と買い物くらいです。連休はいつも都心が空いていて
快適ですし、テニスもランもたくさんしたいと思ってます。

さて今週読んで一番面白かった本は、フランス文学者鹿島茂さんの
著書「パリの異邦人」です。ヘミングウエイやヘンリー・ミラーほか
長い歴史のなかで多くの外国の芸術家を引き寄せつづけた魅惑の
都市パリが、異邦人としての滞在者をいかに受け入れ変容させて
きたのかを綴った力作でした。特にオーストリア出身の詩人リルケが
著した「マルテの手記」を引いて、パリに暮らす外国人の絶対的
孤独を描いた箇所が特に心に滲みました。

「たとえばマルテがいる安ホテルの屋根裏の一室の次のような描写。

『もし僕がこんなに貧乏でなかったら、もっと別の部屋を借りることも
できるだろう。こんなぼろぼろの家具でない部屋、以前の間借り人の
さまざまな生活の残滓がくっきりついてない部屋に、僕は住めただろう。
最初、僕はちょっとこの肘掛椅子の背に頭をのせることができなかった。
緑色のクッションには、人々の頭を受けていたらしい脂にくろずんだ
窪みがあって、僕は一々気をつけて髪の下にハンカチを敷かねば
ならなかったのだ。しかし、僕はもうそんなことにすっかり疲れて
しまった。みんなと同じように僕はじかに頭を押しつけてしまう。
小さなクッションの窪みは寸法でも計ったように、不思議に僕の
頭にぴったり当てはまるのだ』

ここからわかるのは、パリにおける孤独とは、人跡未踏の地にいる
孤独ではなく、数限りない人々がそこを通りすぎていった場所に
自分もいるという自覚から生まれる孤独なのである。肘掛椅子の
背もたせのクッションに人々の頭が残したくろずんだ窪み。
本来なら、それは孤独ではなく、連帯とかなにか別のものを喚起する
はずのものである。もし、この種の人間の生活の痕跡をヒマラヤの
雪山で発見したら、人は自分は孤独ではないと感ずるかもしれない。
ところが、同じ人跡がパリの安ホテルでは、逆に孤独を倍加する。

なぜなのだろう?
思うに、それは、ヒマラヤの雪山の人跡が分数の分子にあたる
のに対し、パリの安ホテルのそれは、分数の分母でしかないこと
から来ている。ヒマラヤの雪山に記された足跡がすでに二つあり、
そこに自分が三つ目を刻んだなら、それは単純に三になる。
これに対して、パリの安ホテルのそれは、次々に分母に繰り入れ
られるにすぎないから、人跡が増えれば増えるだけ、数自体は
ますます小さくなるというわけだ。

そして、困ったことに、それは、安ホテルに限らず、どんな豪華な
ホテルでもそうなのである。パリに滞在した外国人は、例外なく、
自分がたんに分母に1を増やしたにすぎない矮小な存在である
ことを思い知らされる。つまり、パリというのは、そこに加わった
はずの自分の存在をより希薄に感じさせてしまう『割り算の都』
なのだ。

いいかえれば、パリのホテルに滞在することによって、人は、
そこを通り過ぎていった圧倒的な数の人々の存在の重みを体感
させられ、自分がワン・オブ・ゼムにすぎないという厳然たる事実を
目の前に突き付けられるのである。

最初、人はその事実に反発して、クッションのくろずんだ窪みに
自分の頭を沈めることを拒否し、マルテと同じように、『一々
気をつけて髪の下にハンカチを敷』く。だが、そのうちに否応なしに
みずからの矮小性を認めざるをえなくなり、『みんなとおなじように』、
その窪みに『じかに頭を押しつけてしまう』のだ。すると、なんとも
くやしいことに、『小さなクッションの窪みは寸法でも計ったように』、
『頭にぴったりあてはまる』のである。

私自身も、パリの安ホテルのベッドでなんどこれを体験したか
しれない。真ん中が人間の形に窪んだベッドは、いくら拒否
しようとも、その窪みでしか寝ることを許さない。最初はベッドの
端で寝ようとするのだが、気がつくと、いつのまにか窪みに
スッポリと落ちている。しかも、その窪みは『寸法でも計った
ように』こちらの体に『ぴったり当てはまる』のだから、余計、
心は深く傷つくのである。」

鹿島茂「パリの異邦人」中央公論新社

引用文中の「分子と分母」あたりのくだりは、パリとヒマラヤの
対比に限らず当てはまりそうですね。分母を増やし続けてどんどん
存在の濃度が薄まる都市生活者の孤独と、その反面の匿名性による
気安さについては従来からしばしば指摘されているとおり。

また安ホテルの椅子の背もたせやベッドマットレスの人型の窪みに、
最初は拒否しつつもいつの間にやら私たちの身体がぴったり
収まることでふと感じる「自らの存在の矮小さ」についても、
同じような経験をされたことのある方なら著者の主張に深く
頷けることと思います。

私などは、旅先の宿で寝返りを打つたびに響くベッドスプリングの
きしみ音や、眠れなかった夜明けの朝、街全体から立ちのぼる
低くうなるような音、そして朝早く苛立つように速いリズムを刻み
窓下遠くから迫ってくる女性のヒールの音などにも、孤独とか
悲しみを感じます。きっと「分母」を増やしている気持ちになる
からかも知れませんね。

それではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:54 | コメント(0)| トラックバック(0)

廃墟の上でダンス

こんばんは。今週はお天気もそれほど大きく崩れないようですね。
特に週末は気になりますが・・。東京も今日は穏やかな陽気で
過ごしやすい一日でした。昨日夜、久しぶりに札幌の兄に電話した
ところ北海道も最近なぜかすごく暖かいらしく、今日などは
最高気温23℃!!と東京より高いそうです。気象もどこか
おかしくなっているのですね。。

さてこの前の土曜の朝、仕事で東京大田区の下丸子というところに
行ってきました。ちなみにこの駅自体は東急線のこじんまりとした
駅なんですが、近くにはあのお馴染み「キヤノン」本社がある
ところなんですよ。でちょっと約束の時間までヒマがあったので、
去年秋ごろ駅前にできたという「コメダ珈琲店」に初めて入って
みました。この喫茶店、知る人ぞ知る名古屋発のチェーン店で、
東京初出店がこの下丸子店だそうです。ここのウリは、ふつうの
コーヒーを頼むと午前11時までなんですが、なんとトーストと
ゆで卵が無料サービスで付いてくること!!ボリュームたっぷり
です!なんでも人口当たりの喫茶店数が最も多いのは岐阜と愛知
だそうで、この地域はとても合理的な考え方をされる風土らしく、
特に中小企業経営者は社内に無駄な面談スペースなど設けず、
ちょっと出掛けて外の喫茶店で商談をしてきた歴史があるそう
なのですね~。
それに中小の工場は昔から織機や旋盤など比較的大きな音の出る
機械が多くて、話しづらかったせいもあるそうです。こんな話は
たまたまお邪魔したお客さんの奥様が愛知ご出身で、私がコメダ
さんに行ったと言うとそんな話をしてくれたのですが、最後に
「でも農家の人たちも、手が空くと老若男女みんな喫茶店に
たむろしてくるんですよ、きっと話をするのが何より好きなんです
よね~!」とのことです・・。
そうか~、気の許せる友人や仲間たちとゆったり気ままに話す
ことは、本当に楽しく満足感のあることですものね。このコメダ
珈琲店、コーヒーの味も本格的で美味しく、食事メニューもまるで
ファミレスのように豊富でしたので、お近くの方はぜひ一度
のぞいてみてください。

さて週末読んだ本は、ロシア連邦西南の小国チェチェンで生まれ
育った79年生まれの女性ジャーナリストが、ロシア軍からの
執拗な攻撃で廃墟と化してしまった祖国の悲惨な状況を冷静に
綴った実話です。帝国主義大国が、圧倒的な軍事力を背景に、
独自の歴史を有する民族を弾圧して独立を妨害する図式はチベットや
内モンゴルと同様ですが、ロシアでも報道も厳しく統制されていて、
反体制ジャーナリストがこの数年だけでも数百人単位で暗殺
(または不可思議な事故や行方不明)されており、この若い著者
ミラーナはこの本を発表しただけでも死の覚悟だったろうと思います。

まずは95年1月の第一次紛争で首都グローズヌイを占拠し、
周辺の村々でも軍による大虐殺が繰り返された際、チェチェン人の
民兵が一般の人々を守ろうと立ち上がった描写のところをご紹介
したいと思います。

「村には少しずつレジスタンスが入り込んできて、村を守ろうと
してくれた。戦闘員の多くはとても若く、祖母などは泣きながら
彼らを抱きしめずにはいられなかったほどだ。ほかの人のように
逃げることもできたのに、よそで生きることも、勉強を続ける
ことも、仕事を見つけることも、そして家族を持つこともできた
だろうに、彼らはそうしなかった。そうしたからといって誰が
とがめるわけでもない。それなのに、彼らは私たちのために、
私たちの家のために、私たちの自由のために戦うことを選んだ。
だから、最近になって安全な国にいる人々が彼らのことをテロリスト
呼ばわりしたり、ロシア兵と一緒くたにしてどっちもどっちだ
と言うのを聞くと、どうにも腹が立ってたまらない。

私は彼らが真剣な顔で、あるいは微笑みながら死に立ち向かう姿を
この目で見た。たしかに熱狂に身を任せ、常軌を逸した卑劣な
行為に走った者もいる。けれど、レジスタンスの圧倒的多数は
私たち市民を救うために戦ったのだ。いや、いまもなお戦っている。
オレホヴォやグローズヌイで出会ったあの戦闘員たちの顔を、
私は決して忘れない。彼らには墓もレクイエムもない。彼らは
讃辞を求めるでも、憤りを口にするでもなく、文字どおりなんの
見返りも求めずに死んでいったのだ。
だから、せめて侮辱しないでほしい。」

私たちはチェチェン問題というと、ロシアの公式発表や2002年の
モスクワ劇場占拠などを基にして、イスラム過激派が主導する
テロリストだという誤解をしていることが多いですが、少し事情を
知るだけでそんな単純な問題ではあり得ないことがよくわかります。
多くの無垢なレジスタンスの死の前で、「知らないでいること」は
侮辱することと同義なのかもしれません。

また著者ミラーナが2005年、パリ政治学院で学んでいた際に
あのポーランドのアウシュヴィッツ収容所を見学する機会があり、
その場でこの収容所の生き残りである男性のバロンさんと、
ルワンダ大虐殺を奇跡的に生き延びたツチ族女性のアニックさんが
話し込んでいるその内容に耳を傾けたくだりが特に印象的でしたので
ぜひご紹介したいと思います。

「つまりルワンダで生存者が続けている儀式と同じなんですね。
殺された近親者の名前を延々と唱えつづける儀式なんです。
だって、彼らのことを忘れたりしたら、それはもう一度殺すような
ものですものね。でも、十年たってもまだむなしさを受け入れる
ことができなくて・・。このむなしさを、いつかは受け入れられる
ものなんでしょうか?」

「いや、そのむなしさから逃れることはできませんよ。私はこの
収容所を出てからもう何十年にもなりますが、じつはいまだに
誰にも言えずにいることがたくさんあるんです。言葉にならない
からではなく、たとえ言葉にしても、誰にも本当のところは
わかってもらえないからです。体験した者にしかわからないことが
あるんです。だから、いまだってあのときと同じように、いや、
むしろあのとき以上に苦しいんです。でも、そうやって生きて
いくしかありません。一生ね。あなたもその苦しみを乗りこえる
ことはできないでしょう。乗りこえるのではなく、かかえて生きて
いくしかないんですよ」

「でもこのままだと、憎しみや怒りに救いをもとめてしまいそう
なんです。いつでも体のなかに怒りをかかえている感じがして・・。
あなたはどうしてそんなに穏やかに、落ち着いていられるんです?」

「私も闘っています。憎しみを感じなくなったわけではありません。
いまでも憎しみでいっぱいですよ。時間がたてば赦せるようになると
いった問題ではありませんからね。あの死者たちの名にかけて、
赦すことはできません。大事なのはその憎しみを生きる力に変える
ことです。憎しみに身をゆだねてしまうのではなくてね」

ミラーナ・テルローヴァ『廃墟の上でダンス』ポプラ社

『憎しみに身をゆだねるのではなく、その苦しみを抱えながら
生きる力に変える』。60年もの長い間、自問を繰り返した
バロンさんが、誰にも言えないほどのたくさんの苦しみを抱えつつ
教えてくれた言葉は何よりも重いと思います。今回の争いで
また多くの憎しみと悲しみに打ちひしがれたチェチェンの
人々は今、ロシア支持の大統領カディーロフのもと、何も言えない
恐怖政治と闘い、また絶望と闘っている・・。
最後にパリ留学からチェチェンに帰国されたというミラーナさんの
身の安全を何より祈っています。

それでは、おやすみなさいzz...
| 投稿者 テニス侍 01:17 | コメント(2)| トラックバック(0)

帆立船

こんばんは。東京は昨日から風が強くて春の嵐のようですね。
テニスもランニングも風の向きや強さによってずいぶん影響を
受けるので、風のあるなしにはいつもやはり敏感になるんですが。

そういえば先日たまたま目にしたある大学教授のブログ記事で、
面白いものを発見しました。それは「ホタテ貝は海面を走る」と
いうものです。そんなバカな!とお思いでしょうが、読んで
いると水族館館長がある漁師から聞いた驚くべき目撃談として、
「日没時、北海道沿岸を航海中、大きな帯状の真っ白い何かの
かたまりが移動しているのを目撃したことがある。それは片方の
殻を立てて海面に浮上し、風を受けて沖へと帆走するホタテ貝の
集団で、貝と貝とがぶつかりあって異様な音をたてていた」
そうです・・。真偽は定かではありませんが、確かに「帆立貝」と
書きますもんね。。貝くんもひとつところに留まらず、自身の
帆に風を孕んで大海を闊歩し、いろんな世界を体験して出会いや
気づきを得たいのでしょうか。群れをなして海面をぐんぐん快走
する壮観な光景を、できればいつか私も見たいものです。。

さて今週発売の経済雑誌「週刊東洋経済08/4/19号」読まれましたか?
私にはすごく面白い特集が組まれていて、何度も読んでしまいました。
『鉄道革命~世界で大復権が始まった』として、環境・資源問題や
都市における自立交通(自動車)の渋滞混乱など、一時は航空機・
自動車との戦いに完敗していた鉄道が近年、存在感を増してきつつあり
もうすぐ立場が逆転する、との予想を立てているのです。
新幹線やリニアといった超高速鉄道しかり、地方都市で俄かに脚光を
浴びつつある路面電車LRT(ライトレールトランジット)、
コンテナ船と陸上輸送に比べて数々の利点が見直される貨物輸送など・・。
定時性、輸送能力、コストそして乗り心地においても鉄道の優位性が
特に際立ってきているらしく、JR東海の葛西会長の言葉によると
日本や欧州に比べて人口密集度など輸送量が広く分散し、最も
旅客鉄道がフィットしてこなかったアメリカでさえも、鉄道が
復権する時代がもうすぐ来ると述べられています。
こういう私ももちろん、鉄道大好きです!前にも書きましたが
小学時代の定期購読誌は日本交通公社刊「時刻表」ですからね~。
まあほかにも、飛行機も自動車もバスも好きな浮気者ですけど。

あと鉄道を使った印象的な映画のシーンといえば、私の一番好きな
「都会のアリス」のラストシーンが有名ですね。さえない作家の
フィリップと少女アリスが乗り合わせる列車のボックス座席にて、
フィリップはおもむろに重たい車窓を押し上げ、体を乗り出して
空を見上げる。するとそれまでの白黒映像が突如色彩を帯びて
カラーとなると同時に、上空のヘリからの視点に変わるとともに
フィリップにズームした構図から、長大な編成で駆走する列車全体に
引いたカットに変わるところ。いまや巨匠となってしまった作家
ヴェンダース28才の作品ですが、意表をつく効果的な撮影技法に
よって、男と少女との微妙なストーリー展開とともに鮮やかな
印象を残す美しい傑作だと思います。しばらく絶版になっていました
が、今年2月にDVD再発されましたのでぜひ一度ご覧ください。

それではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:56 | コメント(2)| トラックバック(0)

敬天愛人

こんばんは。東京はあたたかく過ごしやすいお天気が続いて
いますね。週末出場したハーフマラソン後、足のハリが
強かったのである整骨院さんで初めてマッサージをしてもらいました。
柔道家の女性院長さんにお願いし、強めにほぐしてもらったのですが、
これがすごく効きましてとても快調です。
太もも前後もふくらはぎも痛みが全くなくなって軽い感じになり、
こんなにも違うものかと感動的でありました。上手い先生に
1時間位しっかりやってもらったのが良かったんですね~、
ケイコ先生またお願いしますね!

さて男子テニスは今年もとうとうクレーシーズンが始まりました!
男子は全豪を境目に勢力図が大幅に変わりつつあり、数名のトップ
集団がますます混沌としています。その中でも、あの王者フェデラー
全仏タイトル獲得に向けて本腰を入れて準備しているらしく、
今回だけ特別コーチを付けたというニュースがありました。
いまだ全く調子の上がらない今年だからこそフレンチは見ものの
ような予感がします。出場大会はほぼファイナルまで戦ってきた
これまでと違い、今年は体力も温存できていますし、王者も今年は
本気で獲りにきているのだと思いました。
そのスペイン出身のコーチ、ヒゲラスさんはジム・クーリエや
マイケル・チャンほか多くの全仏優勝者を指導してきた実績ある方だ
そうです。あのフェデラーがこのまま終わるはずもなく、きっと
最強伝説を更新していってくれるものと信じているのです、
レッドクレーで頑張って、巻き返してくれーー!!

最後に読書のはなしを。またまたトイレ掃除の鍵山先生の本から、
あの西郷隆盛の有名なお言葉を頂戴したいと思います。

「西郷隆盛は生涯において三度、流罪人として島流しを体験して
います。流された島は、奄美大島、徳之島、沖永良部島。年齢は
三十一から三十六歳までの約四年八カ月間。

いずれも、いわれなき罪による島流しではありましたが、ひと言の
反論もせず、従容として藩命に従っています。(中略)

とくに、当初の三カ月間は、雨ざらしの牢獄生活。西郷は生死の
境を彷徨い、この世の地獄を体験しました。身長一七八センチ、
体重百二十キロの巨体は、すっかりやせ衰え、骨と皮だけになった
のです。

西郷は、こうした牢獄での生活体験をベースにして、晩年の悟り
である『敬天愛人』思想を形成していったのでした。
曰く『人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を
尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』。

極限状態で開眼した西郷の志が、心に迫ってくる思いです。」

鍵山秀三郎「人間を磨く言葉」PHP研究所

人の欠陥ばかり責め論わず、天(神)が私たちを赦し愛してくれる
ように、自分の誠意の不足を恥じつつ他人を愛しなさい、という
意味なのだと思います。私もいつの日かこの『敬天愛人』の
境地に、己を尽くして近づきたい、そしてそのためには
日々考えて行動しまた考えて・・をずっと繰り返すしかないのだと
思っています。
それではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:54 | コメント(0)| トラックバック(0)

焼津みなとマラソン

こんばんは。今日は静岡県焼津市で開催された「第23回焼津
みなとハーフマラソン」に参加してきましたよ~!東京の
昨夜の大雨に驚き、雨天を相当覚悟して現地入りしたのですが、
新幹線と在来線を乗り継ぎ朝8時過ぎにJR焼津駅を降りたら、
薄晴れで暖かい日差しに恵まれて大ラッキーでした。
それにしても朝の日曜日、東京駅6時すぎの風景。各駅停車の
こだまに乗る方はあまりいないようです。。

まずは結果・・、気温19度まで上がったので少し暑かった
ですが、気持ち良い潮風を受けながら無事完走できました!!
そして記録は目標の50分台を切って大会時計(グロス)で
1時間48分42秒、満足のいく結果です!前回1月のタイム
から14分も短縮できて、思わずニンマリしてしまいました。

参加賞も大きめのタオルやらアミノバイタル粉末、soyjoyの
ストロベリー(!)、地元名産のかつお節とお茶漬けの素など
たくさん頂けました。ただ5人に1人当たるという生カツオは
残念ながら外れてしまいましたが。。
大会自体は6400人がエントリーしている大きなものでしたが、
会場自体が新焼津港全体を使用していてゆったりとしているし、
ランニンググッズのお店や同時開催している「みなとまつり」
から食べ物屋さんなどの楽しい出店がたくさんあったりして、
応援の人たちも随分楽しめたのではないかなと思いました。

この大会のコースは高低差4mとフラットで、しかも凹凸の
少ないよく整備された県道を折り返すコースで、もうこれ以上
望めない最高の条件のコースだと思いました。
そんな中で私の走りの内容は、、最初10キロまではそれほど
速くもなく良いペースで入れ、ヒザも足首も痛みなく心肺も大丈夫。
15キロくらいまでは沿道で応援してくれるたくさんの方の歓声にも
応える余裕もあってゴールまでこの調子で・・と思ったのですが、
その後完全に燃料切れとなってしまい無残なラップを刻んで
しまいました。これは普段からもっと長い距離を走りこまないと
いけないですね。備忘録のために1kごとのラップを入れておきたい
と思いますが、最後の4キロ、これは本当に何とかしなけば・・。

5'15-4'50-4'52-4-55-5'06-4'53-5'05-4'45-4'53-4'49 10k=49'23
4'53-4'43-5'12-4'55-5'08-5'23-5'09-5'39-5'45-5'47-6'34 
21.0975k=1'48"31(ネット)

この焼津マラソン、全体としてすごく楽しめたし、会場近くに
清潔で快適な温泉施設もあるしオススメしますよ~!私も決して
近く便利な場所ではありませんが、ぜひまたエントリーしたいと
思っています。

またハーフ大会は来月25日の山中湖を入れています。この春はこれで
ハーフ最後なのできちんと練習して、自己記録を狙いたいと思っているの
ですが、4月の今日でもやや暑いくらいだったので、その対策も考えないと。

そして夜に東京に戻ってから、八重洲地下街のカレーうどん「古奈屋」
さんで美味しいうどんをいただき帰宅しました。なんでも堺正章さんの
元マネージャさんが、25年前に巣鴨で開業されたというこのお店、
もともと超有名店だそうですが、コクのあるカレースープも、
歯応えがあってもちもちのうどんも、とても気に入りました。
最後は五穀米をいれて雑炊のように食べるというのも、また美味し
かったです。

今日は本当に長い一日でしたけど、好きなことをやって、
おいしいものを食べて、ぐっすり眠れる、という平凡ながらも
至高の幸せを改めて感じた休日でした。

ではまた、おやすみなさいzz...
マラソン大会 | 投稿者 テニス侍 23:10 | コメント(4)| トラックバック(0)

十牛図

こんばんは。
今日はとても暖かく穏やかな週末の休日になりましたね~!
テニス仲間のTさんも、朝のサークル練習で「あんなに平日は
天気悪かったのに、ほんとにツイてるよね!」と終始ご機嫌な様子
でした。そのあと昼前に家に戻り、家の外周をはき掃除。
前がバス通りなので砂ぼこりがたくさんたまるのと、隣の神社の
大木の枝や芽がいっぱい落ちて吹き込んでくるので1週間でも
レジ袋1杯分ほどになるんですよ。キレイになると気持ち良いし、
裏の公園に行き来する子供たちが自転車を止めてこちらを
じーっと観察していて目が合ったりして、なかなか楽しいものです。
普段みかけない変なおじさんが掃除してるよ~~、くらいなところ
ですかね。。

また洗濯も天気が良いと気分よいですしね。私たちの日常生活は
その95%以上が瑣事の繰り返しだ、という文章を読んだことが
あります。顔を洗う、鬚をそる、歯を磨く、食事を準備し食べる、
風呂に入る、掃除をする・・。そんないわばとても地味な毎日が
ずっと続くわけですが、単に億劫だ、面倒だと済ませずに、
ちょっとずつ工夫してささやかな喜びを見つけ、また気の合う
友人たちと話したり励まし合って、これからも楽しく過ごして
いきたいものですね。

さて明日は「第23回焼津みなとマラソン」に行ってきます。
1月以来のハーフマラソンなので、第一の目標としてはケガなく完走、
その次に自己ベスト記録1時間50分台をできれば目指したいと
思っています。週間天気予報では、一時雨のマークも出てましたが
今現在では「くもり、降水確率20%」となっていますから、
まあ強い雨にはならないはず・・。朝6時半の新幹線で向かいますので、
早めに準備して寝ないと・・。また明日ご報告しますね!!

で今週読んで面白かった本ですが、禅のこころを学ぶための入門図
として、古くから多くの人に親しまれてきた『十牛図』というものを説明した
新書をご紹介したいと思います。これは「牧人(まきと・悟りを求める者)」
が、逃げ出した「牛(真の自己)」を探し出す過程で、いかに生くべきかを
十の図で表したものといわれています。
「自分が変われば世界が変わる。あなたの人生はあなたの気の持ちよう
次第」という仏教の唯識論を簡単に説明してくれる本で、学生時代
以来、久しぶりに大乗仏教を学び、やはりたくさんの示唆に富んで
いました。なかでも、幸せについて考えたくだりが心に響いたので、
ちょっと抜粋しますね。

「若者たちに、どのようなときに幸せを感じるか、と尋ねると、
『好きな音楽を聴いているとき』『スポーツをしているとき』
『友人たちと語り合っているとき』などと答えます。

もちろんこれらは幸福感であるといってもよいでしょう。しかし、
このような幸せには、必ず幸せと感じる『自分』が存在します。
しかし、すでに、幾度も確認してきましたが、そのような『自分』
は思い込まれた自分であり、実体として存在するものではありません。

そのような『自分』を消し去ったとき、どのような幸福が顕れて
くるでしょうか。

また、あの『雨ニモマケズ』の詩にもどってみましょう。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ
夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
(中略)
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

この中の『アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ 
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ』という箇所を読むたびに、
私はもう涙が出るほどに感動を覚えます。

すべてのことに対して、自分を勘定に入れずに見聞覚知する。
もしこれができたら、これもまた素晴らしい理想的な生き方です。

しかし、私たちの現実の生活は、これとはまったく逆です。
例えば絵画展を見に行く。このピカソの絵は私にはわからない、
むしろセザンヌの絵の方が私は好きだ、と言う。
また、相手からなにか非難めいたことを言われると、むかっと怒る。

・・このように、なにを見ても聞いても、そこに『自分』という
いわば反響板がはたらいているのです。だから、そのような
『自分』を中心とした世界に生きる限り、決して真の幸福は
ありえないのではないでしょうか。」

横山紘一「十牛図入門」幻冬舎新書

この文章に触れたとき、すぐに「己のために計らわず」という
先日たまたま知った言葉を思い出しました。
これは、戦勝国が何の根拠も無く実行した東京裁判のうえで
いわゆるA級戦犯とされた広田弘毅元首相の言葉です。
外相のちに首相としても戦容の拡大防止に終始一貫務めたものの
文官では唯一死刑判決を与えられてしまいました。しかし軍部など
他に責任を擦りつけることなく一切の弁解もせず、生死を決する
究極の状況にあってもとことん『自分』を消し去った元首は判決の
のち、獄中でこんな言葉も残しています。

「すべては無に帰して、言うべきことは言ってつとめを果たす
という意味で自分は来たから、今更何も言うことはない。
自然に生きて自然に死ぬ。」

「法に触れなければいい」、または「ごく近い人だけに迷惑を
かけなければ何をやってもかまわない」・・などと考えて育ち
育てた人々が今の時代には少なくないとも思いますが、
自分を消しさって勘定に入れずに一歩も二歩も退き譲る潔さを
身に付けられれば、真の安らぎや幸福に近づけるのではないのかな、
と思いました。
日記 | 投稿者 テニス侍 19:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

あるでん亭

こんばんは。昨日は強風と雨がすごかったですね。なんとか
もっていた桜もすっかり葉っぱだけを残して、ちょっぴり
恥ずかしげな姿になってしまいました。今週は天気も不安定、
晴れと雨が交互にやってくる感じで、春っぽいですね。
週末だけは豪雨にはならないで欲しいのですが・・。

さて近ごろハマってよく通っているお店が、パスタ専門店の
「あるでん亭」です!新宿の職場の隣ビル地下にあって、
それほど広くないお店(30席もないくらい)なので、お昼どきは
いつもかなりの行列になっています。その店名のとおり芯が
残るくらいカタめのパスタがとても美味しい~。噛むと香りが
鼻に抜けるような感じがして、私はとても好みです。。
特に一番は、実はそれほど期待していなかった「ボンゴレビアンコ」。
あさりの出汁なのか塩加減も絶妙で、これには一撃で参って
しまいました。ちなみにこのビル、アリタリア航空のオフィスも
入っているそうで、店にはいつもイタリア人の集団がお見えになって
おります。。銀座店と吉祥寺店もあるそうなので、お近くの
方は一度お試しください!!

あと先日読んだ本「女ひとり玉砕の島を行く」をご紹介したいと
思います。大変おもしろくって、しおりを使わずに読んでしまいました。
著者は74年生まれの若い女性。太平洋西部、先の大東亜戦争で
初めて敗戦の地となったガダルカナル島をはじめ、ブーゲンビル、
タワラ、サイパン・テニアン、硫黄島などを訪れ、戦跡をめぐりながら
伝聞や記録ではわからない過去を過去の視点で見、当時の人々の
思いに心を馳せることで、私たちの父祖がどんな思いで戦い、
潰えていったのかぜひ自分の目で見てみたいと思ったそうです。
この著者の笹さんは、いくつかの雑誌の書評などで繰り返し
お見かけしていましたが、平易な言葉で自分の思いをきちんと
伝えられる能力のある方だな、という印象を持っていましたが、
初めて出された単行本も力作で読み応えがありました。
そんな中で特に心に残った箇所はこちら、結びの部分でした。

「(先の大戦時に)海外で戦没した兵士たちは二百四十万人に及ぶ。
言うまでもないが、戦争は彼ら個人が引き起こしたものではない。
その戦場の体験があまりに悲痛であり、自分の身代りに友が死んだ、
あるいは父が死んでいった・・、そんな思いがあるからこそ、多くの
戦友や遺族たちは戦地を訪れ、慰霊碑を建立したのではないか。

司馬遼太郎氏は、かつて太平洋上の島々での戦いを、「戦争よりも
棄民」と評した。いくつかの太平洋の島を巡り、戦闘の詳細や
現地に残る戦跡を目の当たりにした私にとって、胸に迫ってくる
言葉である。そして今、国に棄てられた兵士たちの慰霊碑が
朽ち果てるにまかせ、何の対応策もとられずに次々と撤去されて
いくのなら、それは再び彼らを「棄民」することになる。(中略)

生還者や遺族たちは、今も仲間を偲び、父を思いながら過ごしている。
それは、戦後六十年を過ぎたからといって、数字と同じように
区切りを付けられるものではない。またスッパリと忘れられる
ものでもない。彼らと接していると、戦後の終わりは、過ぎゆく
歳月の長さではないことを思い知らされる。

現代に生きる私たちが真摯に過去と向き合うこと、そして祖国の
ために死んでいった兵士たちに、感謝と追悼の念を持つこと。
それが自然に行われるようになって初めて、この国の『戦後』は、
終わるのではないだろうか。」

笹幸恵『女ひとり玉砕の島を行く』文藝春秋

身を賭して護るべきものを守るため、勇敢に戦ってくれた人たちの
ことを私たちはこれまで、意図的に忘れようとしてきたのではないか?
あるいは過去の単なる集団的な過ちとして、祖父母の世代を
愚かな侵略者などと貶めてきたのではないか?自分には全く関係
ありませんよ、などとして・・。

エネルギーや食物などの資源争奪をめぐって国家どうしのエゴが
いよいよ剥き出しとなりつつある今だからこそ、私たちは
先達が悩み震えながら築いてきた伝統と歴史を正確に学び、
現在の繁栄と安全に深く感謝しながら、これから個々にできることは
いったい何だろうか、真剣に考えなくてはいけないと思いました。
またその考えのヒントは、「公」と「私」にあるのではないのかな、
と今のところ思っています。

ではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:51 | コメント(2)| トラックバック(0)

愛しい

こんばんは。週末ほんとうに良いお天気でしたね。春なのに風も
ほとんどなく穏やかで、まさに天からのギフトのような休日でした。
昨日は午前4時間テニスのあと、葛飾水元公園でお花見バーベキュー
をしました!はるさんのサークルメンバーとその奥さんやお子さん
など総勢10人以上でガヤガヤ騒ぎ、とても楽しかったですよ~。
食べ物もテニス仲間のはるさんが地元の美味しい焼肉店で仕入れた
特製タレに、前夜から付け込んだカルビをたくさん食べさせてくれ、
とても美味しかったです。それにやっぱり炭火で焼くとすごく旨い!!
野菜ほか深夜にいろいろ準備してもらって、ほんと楽しめました、
どうもありがとう。またBQやりましょうね~~!!

で今日も朝2時間テニスしたあと、昼前からランニング。来週日曜に
出場予定の「焼津みなとマラソン」の調整。ジョグと流しで80分ほど
(約14キロ)行いました。気温も高くて汗もたくさん出るのですが、
日差しも強いので乾くのも早くさほど気になりませんでした。
コースはいつもの荒川河川敷~葛西臨海公園周回コース~荒川です。
東京湾河口に近づくほど太陽光線でキラキラ輝く水面が眩しくなり、
さらに遠くにはタンカーやコンテナ船が見えたり、空には羽田から
出た大型航空機がゆったり舞っているし、それに普段感じない潮の
匂いがしてきたりして、すごくいい気分で走れました。

公園内は、いまだ風に飛ばされずにたくさん残っている桜の木の
下で、多くの家族や仲間たちがお花見を楽しんでいました。
楽しそうに会話を楽しんでいる人たち、日の光をあびてのんびり
寝ころんでいる人たち、酒やビールをウマそうに飲んでいる
人・・。
もう一部は葉桜になりかけているのですがが、その新しい葉っぱの
緑色と残った花びらの強いピンク色の組み合わせも、それはまた
キレイで美しいなーと感じました。

そのあと午後に先週入手した新書を読んだのですが、「人や物を
褒める」ことの大事さを具体的な例を引いて表わした本で、とても
感銘を受けました。『ほめる』というのは、その対象に良い評価を
与えることと思いがちですが実はそうではなく、素晴らしいことを
共に喜び合うというほうが、本来の『ほめる』に近いそうなのですね。

その中でも「美しい」というほめ言葉を説明した箇所がこちらです。

「美しい・・・今では美一般をさす言葉ですが、古くは、慈しみを
込めた愛情を表現する言葉だったそうです。今でいう、可愛い、
愛しいに近い言葉だったといえるでしょう。奇麗という意味で
使われるようになったのは、近世になってからのことだそうです。

そういえば『愛しい』と書いて、『うつくしい』とも読ませました。

『愛』という漢字の成り立ちにはいくつかの説があるのですが、
そのひとつに、後ろをかえりみて佇む人の形である、という説が
あります。立ち去ろうとして、後ろに心がひかれる人の姿だと
いうのです。

相手を振り向きながら見つめる眼差し・・、そこから、たくさんの
ほめ言葉が生まれていくのでしょうね」

人生、年齢を重ねてくると、私たちは残念ながらたくさんの別れを
経験せざるをえませんけれど、その度に何度も後ろを振り向きつつ、
愛おしく忘れられない思い出を刻みこんできたのかもしれませんね。

さらに「ほめる」という行いについて、著者の考えをまとめた箇所は
こちら。

「ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈り物をすることはあっても、
はじめから見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為
でありませんね。

本当のほめ言葉とは、相手を操作するのではなく、お互いが幸せな
気持ちになるために使うものだと思うのです。(中略)

ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しで
ほめることです。わだかまりなく、人をほめることのできる人は、
幸せな人だといいます。

心理学の『ジェームズ・ランゲ説』では、『悲しいから泣くのではない、
泣くから悲しくなる』『怖いから体が震えるのではなく、体が震える
から怖くなる』ということが証明されています。

とすれば、『素晴らしいからほめるのではなく、ほめるから素晴らしく
なる』ともいえるのではないでしょうか。」

山下景子「ほめことば練習帳」幻冬舎新書

褒め殺しでも厭味でもなく、たくさん褒め合って共に祝福し共感し
喜び合って、幸せな気持ちになれるほうがもちろん良いですよね。
素直にそんな快の感情を伝えられる人になりたいものだと思いました。

ではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:31 | コメント(2)| トラックバック(0)

SOYJOY

こんばんは!今日も朝からいいお天気でした。気温も日中は
暖かくなってランニング日和でもありますよね~。来週は静岡で
ハーフ大会に参加予定なので、この週末は最低20キロは走りたい
と思っています。

天気も良さそうなので一安心、土曜日ははるさんのサークル仲間と
葛飾の公園でお花見の予定で、すごく楽しみです。ちょっと急
だったのでたくさんは集まれないようなのですが・・。
はるさんはこういうイベントを仕切る達人なので、本当に助かって
います、いつもありがとうございます!楽しみましょうね~!!

で最近私の中でごく静かーなブームとなっています"SOYJOY"
についてご紹介したいと思います!すでに06年4月発売から
丸2年たつ、おなじみ大塚製薬のフルーツ大豆バーなのですが、
コンビニやキヨスク、薬局など全国いつどこででも必ず入手できて、
テニスやランニングの前後、また平日朝や夕方などにも気軽に
エネルギー補給できるのでとても重宝し、バッグにいつも入れて
持ち歩いているんですよー。大豆35個ぶんで1本できていて
約120kcal、しかも小麦よりもGI値(糖分が体に吸収される
度合いのこと)がぐーんと低いらしく、同じカロリーでも太りにくい
そうで、これも最高ですね!

さらにパッケージデザインもシンプルかつカラフルで美しいと
思いますし、なにせ7種類ある味がどれも美味しい!このような
エネルギーバーのなかではダントツだと思ってます。ちなみに
私の好みは「アップル」、「ココアオレンジ」と「サンザシ」
なんですが、今月8種類目の新しい味「ストロベリー」が発売され、
どんな味なのかとても楽しみです、きっとおいしいのだと思う
のですが・・。皆さまも一度試してみてくださいね~。
またドライフルーツは、もちろんビタミン含有率が高く健康的だし、
ぜひお勧めします。味はあと「レーズンアーモンド」、
「アプリコット」、「プルーン」と「マンゴーココナッツ」です。

さてここ1~2か月くらい繰り返し読んでいます鍵山秀三郎さんの
新しい著書を読んで、また目からウロコ!の文章にめぐりあって
しまいました。この方の言葉になぜこんなに惹かれてしまうのか、
その理由は・・あまりよくわかりませんが、きっと理論や哲学を
大上段から振り下ろすものではなく、雑巾と箒をもって汚れながら
学んだシンプルなことだからかな、と今は思っています。

昨日読んだ「凡事徹底」という講演録から、最も心に残った箇所を。

「人間の喜びで最たるものは、人に頼りにされ、人にあてに
されることです。これが喜びの中で何よりも大きい。どれだけの
財産を持つよりもこの喜びがいちばん大きい。逆に、どれだけの
財産を持っても、人にあてにされない、大して頼りにもされて
いないということになったら、生きていく甲斐がなく、どんどん
エネルギーを失って老化していきます。

ですから、知識や技能は大変大事なことですが、それだけで
人生が幸せに過ごせるということはないということを、まずは
知っていただきたいと思います。いい人といいかかわりを
持つということが、知識、技能を持つのと同じくらい、
あるいはそれ以上に大事なことだということを五十年の人生
体験から学んできました。

では、その縁をよくしていくためにはどういうふうにしたら
いいかというと、よく気づく人間になることがいちばん大事です。
気がつかない人は、自分では思いもよらないところで人を傷つけ、
あるいは人から嫌がられたり、敬遠されたりすることになります。

会社の中でも『もうあの人の下では一緒に仕事をしたくない』と
思われる人もたくさんいます。そういう人に共通していえるのは、
みんな気づかない人だということです。」

鍵山秀三郎『凡事徹底』致知出版社

私たちが真に嬉しく思う瞬間って、考えてみると自分に関わること
などではなくて「大切に思っている人に喜んでもらったとき」
なんですよね。そういうときの相手の目の輝きや表情、言葉などが、
きっと私たちの人生で大事な大事な思い出となって、積み重なって
いくのだと思います。

また人との関係のなかで、いま自分がやっていることがいったい
どういうことなのか、無意識のうちに誰かを傷つけてはいないか、
よく気づける人になりたい、とも思いました。。

それではまた、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 23:51 | コメント(0)| トラックバック(0)

ダライ・ラマ14世

こんばんは。
今日は天気は良かったのですが、風が強くって少し困りましたね~。

さて今日は昼前から、前からの予定どおりテニス仲間はるさんの
お兄さんの会社にお邪魔させてもらいました。お兄さんはとても
人当たりのよい臨床心理士さんでもあります。テニスサークルで
何度もご一緒させてもらっていますが、職場には初めてでした。
ご紹介いただいた同僚の方お二人も美しく聡明な臨床心理士さんで、
とても驚きました!

よい機会なので昼食までご一緒させてもらいましたが、やはり
「人」の専門家だからでしょうね、聞き方がすごくお上手で、
良い関係ができるのが早かったですし、ずーっと気持ちよく話させて
もらいました。

そして私が、最近考えていることもじっくり聞いてもらえたのです
が、話しながら思いがけず自分の考えが整理できたような気が
しました。それは「お金の遣いみち」ということなのです。
相対的にたくさん持っていたとしても数字それ自体は抽象的で、
不安定なものですよね。なくてはならないものだけれど、いったい
どれだけもっていればまず安心なのか、また自分や家族のため
だけでなく、満足感の高い活きたお金の遣い方の選択肢をさまざま
提示して活用してもらえたら、もっと自分の理想に近い生き方が
できるのではないか・・などです。

そんなことを会話していたら、最近読んだダライ・ラマさんの
言葉を思い出しました。高価なものを所有したり、物質的な便利さ
だけでは孤独が癒えるはずないし、内的な支えを見出すことは
できないという言葉で、強い説得力を感じたのです。

「人間の愛情や価値、友情、信頼、そして他者の悲しみや問題を
分かちあう精神といったものは、主として内的な価値と深く
関連するとわたしは考えます。もしもこの内的価値が深くあなたの
内側に根ざしているなら、たとえ家や銀行の残高をなくした
としても、自分にはまだ家族や友人がいるということに気がつき、
元気でいることができるでしょう。

反対に、たとえあなたがすべてを手にしたとしても、それに執着
しているかぎり、心の奥底では孤独かもしれません。

どれほど高価なものであろうとも、お金やさまざまなものを所有
することは、愛情表現となりえないというのは事実です。

お金儲けに奔走しつづけることは、若いころならきっと問題ない
でしょう。しかし、しだいに歳をとり、いくつかの問題に直面
しはじめると、物質的な便利さは愛情やあなたの内的な価値を
分かちあうものではないということに気づくはずです。

そのとき、外的な事柄にすべての希望を託し、内的な価値を無視
する人たちは絶望に陥ります。外的な価値はその限界を示し、
自分の内側にその困難を乗り越えるための支えを見出すことは
できないでしょう。」

松本 榮一『ダライ・ラマの言葉』NHK出版

紀元7世紀にチベット高原を統一したトバン王国に始まる古国
チベットは、突如1949年、軍事侵攻によって中華人民共和国に
併合されてしまいました。指導者ダライ・ラマ14世を中心に、
多数の死者を出しながら反中国闘争を粘り強く続けたものの
圧倒的な軍事力によってほぼ鎮圧され、とうとう1959年、
ダライ・ラマはインド北西部ダラムサラへ脱出せざるを得なく
なります。その後現在まで当地を臨時政府としてチベットに
平和と自治を獲得すべく、積極的な活動を続けられています。

今年3月からのチベット暴動と人民軍による100人超の虐殺に
接し、私は人権や民族自治という意味で、これは現代版の
「踏み絵」ではないか、という思いを抱いています。私たちの
理解不足や無関心によって、最悪の酷い状態までへこみ磨減
させてしまったダライ・ラマ師の銅版画を、五輪年の今だから
こそ復元できる良い機会なのかも、と思いました。
そしてそのためには、私たちが正確な歴史を学ぶことと、あくまで
冷静に現状の事態を注目し観察し続けることから始めるべきだ
と考えています。
それでは、おやすみなさいzz...
日記 | 投稿者 テニス侍 01:54 | コメント(0)| トラックバック(0)
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