2012年05月29日
イランカラプテ
現在公開中の映画「テルマエロマエ」が話題となっている原作漫画家ヤマザキマリさん。幼少期は北海道郊外の町で育ったそうですが、私は「ルミとマヤとその周辺」(全3巻)が好み。何もない小さな田舎町で暮らす小学生の姉妹と、オーケストラで演奏する母の日常を描く物語で、70年代田舎の静穏な哀しみを、子どもの視点で追体験できる作品です。
最終巻、北海道先住民族アイヌの言葉を近所のおじさんが姉妹に教えるシーンが印象的。
「こんにちは」は、アイヌの人は「イランカラプテ」というんだよ
直訳では「あなたの心にそっと触れてもいいですか」。日常使用する言葉ではなく、旧知の大切な人へ再会したときに用いるのだそうです。「神があなたとともにあるように」との語源を持つ「goodbyeさようなら」に通じる没我を感じる、とでも言えようか。
私の母校では、旧制釧路中学から数えて今年100周年の同窓会が行われます。秋の高い空の下、素敵なイランカラプテが無数に行きかうのでしょう。
<同時公開>TsuyoshiIshimoto@facebook
最終巻、北海道先住民族アイヌの言葉を近所のおじさんが姉妹に教えるシーンが印象的。
「こんにちは」は、アイヌの人は「イランカラプテ」というんだよ
直訳では「あなたの心にそっと触れてもいいですか」。日常使用する言葉ではなく、旧知の大切な人へ再会したときに用いるのだそうです。「神があなたとともにあるように」との語源を持つ「goodbyeさようなら」に通じる没我を感じる、とでも言えようか。
私の母校では、旧制釧路中学から数えて今年100周年の同窓会が行われます。秋の高い空の下、素敵なイランカラプテが無数に行きかうのでしょう。
<同時公開>TsuyoshiIshimoto@facebook
2012年05月22日
記憶
先週高校時代の友人に誘われるままfacebookを始めました。たちまち同級生多くと連絡が取れ、顔写真を見たり短い文章を交換すると、瞬時に当時の関係性が蘇ってきます。20年の時を超えた不思議なタイムスリップが面白い。
彼らといろいろ昔話をするのですが、どうもお互いの記憶が食い違い、かみ合わないことが多い。一体どういうこと?しばし考えていると、福岡伸一さんが昨年カズオイシグロさんと対談した際のこのような文章を思い出しました。
「イシグロさんの小説のテーマのひとつは『大人になること』ではないかと思います。大人になることは有限性に気づくことです。子供のころ、無限に広がっていたはずの可能性が狭まり、夢がひとつずつ消え、くっきり見えていた世界の輪郭もぼんやりとしか見えません。視力や体力が衰え、想像力でさえ弱くなっていきます。しかしそんな時の流れのなかにあって、決して私から奪い去ることができないものがひとつだけあります。
イシグロさんはガーシュインの曲を教えてくれました。『They Can't Take That Away From Me』。彼らは決してそれを私から持ち去ることはできない。Theyとは時間のことでしょう。
では、持ち去ることのできないThatとは。それは端的に言えば、私自身の記憶のことです。大人になって、あらゆるものが損なわれ色あせたとしても、私のあの鮮明な記憶だけは確かなものとして私の中にある。それは必ずしも美しいものだけではありません。苦く切ないものもあるでしょう。しかしそれは確かに私とともにあり、私はその記憶と和解したり、あるいは折り合いをつけるようになる。そのような記憶との関係性が、大人になるということかもしれません。」福岡伸一『遺伝子はダメなあなたを愛してる』朝日新聞出版
記憶は、絶えず重層化され、変わり続ける。それでもなお、私という存在を形作る主役は、決して表に見える「身体」ではなく、むしろ私が、自らの経験と和解し折り合いをつけてきた「記憶の集合体」である。だとすれば、これからも愉快で勝手な記憶を編集し生きていこうか。
<同時公開TsuyoshiIshimoto@facebook>
彼らといろいろ昔話をするのですが、どうもお互いの記憶が食い違い、かみ合わないことが多い。一体どういうこと?しばし考えていると、福岡伸一さんが昨年カズオイシグロさんと対談した際のこのような文章を思い出しました。
「イシグロさんの小説のテーマのひとつは『大人になること』ではないかと思います。大人になることは有限性に気づくことです。子供のころ、無限に広がっていたはずの可能性が狭まり、夢がひとつずつ消え、くっきり見えていた世界の輪郭もぼんやりとしか見えません。視力や体力が衰え、想像力でさえ弱くなっていきます。しかしそんな時の流れのなかにあって、決して私から奪い去ることができないものがひとつだけあります。
イシグロさんはガーシュインの曲を教えてくれました。『They Can't Take That Away From Me』。彼らは決してそれを私から持ち去ることはできない。Theyとは時間のことでしょう。
では、持ち去ることのできないThatとは。それは端的に言えば、私自身の記憶のことです。大人になって、あらゆるものが損なわれ色あせたとしても、私のあの鮮明な記憶だけは確かなものとして私の中にある。それは必ずしも美しいものだけではありません。苦く切ないものもあるでしょう。しかしそれは確かに私とともにあり、私はその記憶と和解したり、あるいは折り合いをつけるようになる。そのような記憶との関係性が、大人になるということかもしれません。」福岡伸一『遺伝子はダメなあなたを愛してる』朝日新聞出版
記憶は、絶えず重層化され、変わり続ける。それでもなお、私という存在を形作る主役は、決して表に見える「身体」ではなく、むしろ私が、自らの経験と和解し折り合いをつけてきた「記憶の集合体」である。だとすれば、これからも愉快で勝手な記憶を編集し生きていこうか。
<同時公開TsuyoshiIshimoto@facebook>