2007年09月24日
知覧からの手紙
こんばんは!今日も朝8時からテニス練習。7時まえに起きて
顔を洗おうとベッドから出てみると、フローリングの床が裸足に
ひんやりと冷たくって、これはずいぶん久しぶりの感じでした。
テニスの方は、いつものメンバー4名でダブルス。緊張感のある
ラリーが長く続くことが多く、本当に疲れてしまいます。
調子はわりに良く、リターンもストロークも体重移動しながら
押しこむような気持ちで打つと、いいボールが行くようでした。
今日はもともと2時間の予定でしたが、コートが偶然空いていたので
さらに延長2時間・・。いつまでやっても飽きないテニスの魅力には
どうしても逆らえませんね。。次の合宿計画の話もあるし、元気に
プレーできている現在の境遇に、改めて感謝したいと思います。
さて昨日から読んでいたのは、水口文乃さん渾身のノンフィクション
「知覧からの手紙」です。先の大戦末期、志願して陸軍飛行部隊に
配属されたある特攻隊員の手によって、当時の婚約者に宛てられた
手紙や日記を集めたもので、20歳そこそこの若者がここまで強く
祖国の行く末を憂い、故郷会津の家族を想い、恋人に誠実に向き合う
様に驚くとともに、平和な現代の日本に生きる者として頭を垂れる
思いがしました。
「『利夫さんが私だけに残してくれたものを公にしていいのかと
ずいぶん悩みました。だけど、彼の日記や手紙を見て、そこから
何かを汲み取ってくれる人もたくさんいるでしょう。私自身もそれを
何度も読み返して、利夫さんへの理解を深めることができたから』
こう言って彼女は、しまいこんでいた利夫さんの日記や手紙、写真を
見せてくれた。言うまでもなく、これらは特攻隊に参加した若者を
理解する上での貴重な『資料』である。
しかし、私が目にしたのは資料という無機質なものではなく、人の心を
打つ『作品』であった。『死』が前提にありながらも、利夫さんの書く
言葉に愚痴めいたものは見つからない。ただ、智恵子さんへの思いやりと、
国家に危急が逼り来るときに青年として何をすべきなのか、という
熱い思いが綴られている。その隙間に、さらりと挟まれている利夫さんの
若者としての本音が、智恵子さんの話とともの私の心を打った。
しかし、智恵子さんは時折、私に戦時中のことを話すのをためらうことが
あった。特に、その時々の彼女の気持ちを話す際、戦後三十年近く経って
生まれた私がよく理解できないことに、もどかしさを感じるようだ。
『あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、
あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。今とは、あまりに
価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわね』」
「知覧からの手紙」水口文乃著・新潮社刊
生きる時代によって、価値観の基準はやはり違うと思うので、何が
絶対的に正しいか正しかったかを裁くことは誰にもできないと
思います。ただ私は「命は尊いもの」とはもちろん同感ですが、
「生命至上主義」(命こそが絶対唯一無二のものであり、全てに
優先すべきものという考え。以前「命は地球より重い」として
ハイジャック犯の仲間を釈放した事例などもありました)には
違和感を覚えるのです。命と同じほど大切で大事にすべきものは
他にもあるのではないかな・・、しかしそれはもちろん各人の心の
中の問題であり、他の人に強制すべきものではないとも思いますが。
いまだご健在でいらっしゃる、婚約者であった84歳の智恵子さんが、
語り部として私たちに話し継いでくれたごく貴重な個人的体験を、
私もずっと心に刻みこんでおきたいと思いました。
ではまた、明日!
顔を洗おうとベッドから出てみると、フローリングの床が裸足に
ひんやりと冷たくって、これはずいぶん久しぶりの感じでした。
テニスの方は、いつものメンバー4名でダブルス。緊張感のある
ラリーが長く続くことが多く、本当に疲れてしまいます。
調子はわりに良く、リターンもストロークも体重移動しながら
押しこむような気持ちで打つと、いいボールが行くようでした。
今日はもともと2時間の予定でしたが、コートが偶然空いていたので
さらに延長2時間・・。いつまでやっても飽きないテニスの魅力には
どうしても逆らえませんね。。次の合宿計画の話もあるし、元気に
プレーできている現在の境遇に、改めて感謝したいと思います。
さて昨日から読んでいたのは、水口文乃さん渾身のノンフィクション
「知覧からの手紙」です。先の大戦末期、志願して陸軍飛行部隊に
配属されたある特攻隊員の手によって、当時の婚約者に宛てられた
手紙や日記を集めたもので、20歳そこそこの若者がここまで強く
祖国の行く末を憂い、故郷会津の家族を想い、恋人に誠実に向き合う
様に驚くとともに、平和な現代の日本に生きる者として頭を垂れる
思いがしました。
「『利夫さんが私だけに残してくれたものを公にしていいのかと
ずいぶん悩みました。だけど、彼の日記や手紙を見て、そこから
何かを汲み取ってくれる人もたくさんいるでしょう。私自身もそれを
何度も読み返して、利夫さんへの理解を深めることができたから』
こう言って彼女は、しまいこんでいた利夫さんの日記や手紙、写真を
見せてくれた。言うまでもなく、これらは特攻隊に参加した若者を
理解する上での貴重な『資料』である。
しかし、私が目にしたのは資料という無機質なものではなく、人の心を
打つ『作品』であった。『死』が前提にありながらも、利夫さんの書く
言葉に愚痴めいたものは見つからない。ただ、智恵子さんへの思いやりと、
国家に危急が逼り来るときに青年として何をすべきなのか、という
熱い思いが綴られている。その隙間に、さらりと挟まれている利夫さんの
若者としての本音が、智恵子さんの話とともの私の心を打った。
しかし、智恵子さんは時折、私に戦時中のことを話すのをためらうことが
あった。特に、その時々の彼女の気持ちを話す際、戦後三十年近く経って
生まれた私がよく理解できないことに、もどかしさを感じるようだ。
『あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、
あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。今とは、あまりに
価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわね』」
「知覧からの手紙」水口文乃著・新潮社刊
生きる時代によって、価値観の基準はやはり違うと思うので、何が
絶対的に正しいか正しかったかを裁くことは誰にもできないと
思います。ただ私は「命は尊いもの」とはもちろん同感ですが、
「生命至上主義」(命こそが絶対唯一無二のものであり、全てに
優先すべきものという考え。以前「命は地球より重い」として
ハイジャック犯の仲間を釈放した事例などもありました)には
違和感を覚えるのです。命と同じほど大切で大事にすべきものは
他にもあるのではないかな・・、しかしそれはもちろん各人の心の
中の問題であり、他の人に強制すべきものではないとも思いますが。
いまだご健在でいらっしゃる、婚約者であった84歳の智恵子さんが、
語り部として私たちに話し継いでくれたごく貴重な個人的体験を、
私もずっと心に刻みこんでおきたいと思いました。
ではまた、明日!
昨日はお疲れ様でした
大変充実した時間でした!楽しかったです!
戦争の番組を最近目にしますが、本当に戦争は色んなものを奪うばかりでそこから生み出されるものは無いのだなと感じました。
人類はこれまで何度も戦争を繰り返し、日本は唯一の被爆国です。歴史は繰り返さないために学ぶもの・・・と私は思っているのですが、不幸にも現在も戦争の愚かさを知りながらも戦争は耐えないのですね。将来本当に戦争の無い世界がやってきてほしいですね。
またお願いします!
「歴史は繰り返さないために学ぶもの」、まさに
そうですね。私たちは正しい歴史を自ら学んで
伝え継いでいかないといけませんね。
ではまた~!