2007年09月01日
カトリックの愛
こんにちは!朝8時からharuさんのサークルにて2時間練習。
起きたときは結構雨が降っていたので、あれれ中止かな~?と
思いつつ、一応現地に行ってみると、すっかりやんでくれて
ラッキーでした。テニスの方は、膝を落とす、肩をきちんと
入れる、ステップを常に踏み続け、ヒットまでに一歩でも前に
出て体重移動・・。どれも意識せず自然とできるようになったら、
かなり安定したプレーを続けられるのでしょうね。。
しかしこの週末が久しぶりのテニスでしたので、やっぱりとても
楽しかったです、サークルのみんな、いつもありがとう!
全米オープンの本戦が始まってますね。夏のハードコートの環境は
かなりキツいのでしょうか、男子はいつにもまして波乱が多い
ようです。ガスケ、カニャス、ヘンマンにヒュー、サフィン・・。
ガスケ選手をはじめ、ウイルス性の咽頭炎でダウンし、
Walk Over(棄権)している選手も多いようです。鍛えられた
プロ選手の抜群の体力をもってしても、伝染性の病気には勝てない
ものなんですね。今年最後のGS、毎日楽しみに見ていきます!
さて昨日の午後お会いした、訪問介護事業の経営者さん(50代女性)
とそこの従業員さん(30代女性)と話した内容が割と面白く、
示唆に富んでいましたので、ちょっと書きますね。
主に食事や掃除などの家事援助をしている60代男性Tさんのこと。
身体・精神障害は特にない方のようです。裸電球のみで雨戸を
閉めっぱなしのため、暗いお部屋に一人暮らしをされていると
いうTさんは、介助者が何をしてもちょっとしたことで気に入らない
ことが多く、そのたびに「バカもう来るな!!」とすぐ怒鳴りつける
ので、その事業所さんでも厄介な存在と注目されているらしいのです。
何事にもこだわりをお持ちの方のようで、大きな冷蔵庫は卵とバナナ
だらけ、何週間もおでんを食べ続けていたり、お米の研ぎ方にも
特殊な持論があったりと、その2人とも何度も何度も困ったことが
あったらしく、大笑いでTさんにまつわる色々なことをとても面白く
話しては笑い飛ばしていました。私も、もちろん全く知らない方
ですが、目の前にありありと思い浮かぶようなお話の巧さに途中から、
笑い続けてお腹が痛くなるほどでした。
それでもこの経営者さん曰く、暴力や何かがない限りこの男性を
拒否することは絶対にしないというので、すごいなーと思いました。
しかし「笑う」ことで気持ちを浄化し、行き場のないモヤモヤ感を
紛らわしやり過ごすという知恵があるんだろうなー、と思いました。
道徳や倫理のものさしを、ほんのひとときしまっておいて。
そして先日読んだ作家曽野綾子さんのエッセイ集「悪と不純の楽しさ」
の中に、生活保護受給者を相手とするケースワーカーたちの
苦労や思い、そして曽野さんが信仰するカトリックのいわゆる
「愛」の定義が書いてあり、印象に残りました。
「しかし笑わずに何もしない人と、笑いとばして、死後の始末を
してくれる人と、どちらが親切なのか。
キリスト教では、愛は、心から自然に愛することができる場合
ではなく、むしろ意志によって「愛していればそうするであろうような
行動を取ること」を言う。もちろん、ひたすら優しい性格という
ものがあることは、私たちの誰もが体験しているが、そういう人でも
限度はあるかもしれない。とにかく何があっても、その人を捨てない
ことなのである。そして、本心ではしたくなくても、あるいは感謝を
されなくても、その人にとっていいと思われることをし続けること
だけが、ほんとうの愛なのだ、と私は教わった。
私は受給者の死を笑わない。しかし私は何もしていない。
その人は受給者の死を笑う。しかし彼はその受給者の死後の手伝いを
する。どちらが温かい人か明瞭ではないか。どちらに感謝すべきかも
明らかではないか。」
曽野綾子著『悪と不純の楽しさ』WAC出版
「ほんとうの愛」とは、自然と湧き出づるものではなく、むしろ
相手にとって良いと思われることを自らの意志によってし続けること・・。
私たち人間は、誰しもが生まれつき持つ、どうしようもない悪の
部分を抱えつつも、しかし時には、まるで天使かと見紛うほどの
善行を発揮することもある、全く不思議で不透明な存在。
しかしながら、このカトリックの教えによれば、愛する人を
思いやる行為をし続けることで、いつしか「ほんとうの愛」に
到達できる無限の可能性を秘めている、と考えることも
できるのかも知れませんね。ではまた、後ほど!
起きたときは結構雨が降っていたので、あれれ中止かな~?と
思いつつ、一応現地に行ってみると、すっかりやんでくれて
ラッキーでした。テニスの方は、膝を落とす、肩をきちんと
入れる、ステップを常に踏み続け、ヒットまでに一歩でも前に
出て体重移動・・。どれも意識せず自然とできるようになったら、
かなり安定したプレーを続けられるのでしょうね。。
しかしこの週末が久しぶりのテニスでしたので、やっぱりとても
楽しかったです、サークルのみんな、いつもありがとう!
全米オープンの本戦が始まってますね。夏のハードコートの環境は
かなりキツいのでしょうか、男子はいつにもまして波乱が多い
ようです。ガスケ、カニャス、ヘンマンにヒュー、サフィン・・。
ガスケ選手をはじめ、ウイルス性の咽頭炎でダウンし、
Walk Over(棄権)している選手も多いようです。鍛えられた
プロ選手の抜群の体力をもってしても、伝染性の病気には勝てない
ものなんですね。今年最後のGS、毎日楽しみに見ていきます!
さて昨日の午後お会いした、訪問介護事業の経営者さん(50代女性)
とそこの従業員さん(30代女性)と話した内容が割と面白く、
示唆に富んでいましたので、ちょっと書きますね。
主に食事や掃除などの家事援助をしている60代男性Tさんのこと。
身体・精神障害は特にない方のようです。裸電球のみで雨戸を
閉めっぱなしのため、暗いお部屋に一人暮らしをされていると
いうTさんは、介助者が何をしてもちょっとしたことで気に入らない
ことが多く、そのたびに「バカもう来るな!!」とすぐ怒鳴りつける
ので、その事業所さんでも厄介な存在と注目されているらしいのです。
何事にもこだわりをお持ちの方のようで、大きな冷蔵庫は卵とバナナ
だらけ、何週間もおでんを食べ続けていたり、お米の研ぎ方にも
特殊な持論があったりと、その2人とも何度も何度も困ったことが
あったらしく、大笑いでTさんにまつわる色々なことをとても面白く
話しては笑い飛ばしていました。私も、もちろん全く知らない方
ですが、目の前にありありと思い浮かぶようなお話の巧さに途中から、
笑い続けてお腹が痛くなるほどでした。
それでもこの経営者さん曰く、暴力や何かがない限りこの男性を
拒否することは絶対にしないというので、すごいなーと思いました。
しかし「笑う」ことで気持ちを浄化し、行き場のないモヤモヤ感を
紛らわしやり過ごすという知恵があるんだろうなー、と思いました。
道徳や倫理のものさしを、ほんのひとときしまっておいて。
そして先日読んだ作家曽野綾子さんのエッセイ集「悪と不純の楽しさ」
の中に、生活保護受給者を相手とするケースワーカーたちの
苦労や思い、そして曽野さんが信仰するカトリックのいわゆる
「愛」の定義が書いてあり、印象に残りました。
「しかし笑わずに何もしない人と、笑いとばして、死後の始末を
してくれる人と、どちらが親切なのか。
キリスト教では、愛は、心から自然に愛することができる場合
ではなく、むしろ意志によって「愛していればそうするであろうような
行動を取ること」を言う。もちろん、ひたすら優しい性格という
ものがあることは、私たちの誰もが体験しているが、そういう人でも
限度はあるかもしれない。とにかく何があっても、その人を捨てない
ことなのである。そして、本心ではしたくなくても、あるいは感謝を
されなくても、その人にとっていいと思われることをし続けること
だけが、ほんとうの愛なのだ、と私は教わった。
私は受給者の死を笑わない。しかし私は何もしていない。
その人は受給者の死を笑う。しかし彼はその受給者の死後の手伝いを
する。どちらが温かい人か明瞭ではないか。どちらに感謝すべきかも
明らかではないか。」
曽野綾子著『悪と不純の楽しさ』WAC出版
「ほんとうの愛」とは、自然と湧き出づるものではなく、むしろ
相手にとって良いと思われることを自らの意志によってし続けること・・。
私たち人間は、誰しもが生まれつき持つ、どうしようもない悪の
部分を抱えつつも、しかし時には、まるで天使かと見紛うほどの
善行を発揮することもある、全く不思議で不透明な存在。
しかしながら、このカトリックの教えによれば、愛する人を
思いやる行為をし続けることで、いつしか「ほんとうの愛」に
到達できる無限の可能性を秘めている、と考えることも
できるのかも知れませんね。ではまた、後ほど!