2007年09月02日
fragile
こんばんは、今日は少し肌寒いくらいで、ニュースによれば
最高気温が久しぶりに25℃を下回ったらしいですね~。
急に寒くなると、体がついていけず風邪っぴきになりやすいので、
十分注意が必要ですよ。。
先ほどスクールに行く途中、ジャズピアニスト小曽根真さんの
番組"OZ meets jazz(saturdays 21:00~21:54)"を聴いていたら、
1曲目があのカサンドラ・ウイルソンによるスティングの名曲
"fragile(フラジャイル)"で、思わず聴き入ってしまいました。
ハスキーで低い彼女の声はまさにクール(!)なのですが、その反面
情熱的でもあり魅力にあふれる、大好きなグラミーアーティストです。
ジャズの帝王マイルス・デイビスをトリビュートし、1999年に
リリースされた「トラヴェリング・マイルス」からファンになりました。
この"fragile"は、2004年発売のアルバム"glamoured"に収められて
いますので、ぜひ聴いてみてください。ちなみにこのタイトル
glamoured(グラマード)の意味は、「華やかな」または「一瞬にして
心奪われる」ということだそう・・。音楽にもやはりそういった
不思議な魔法の力があるということでしょうね。
さて、昨日の記事で曽野綾子さんの『悪と不純の楽しさ』を取り上げました。
よく考えるに値するテーマがいくつもある、とても面白いエッセイ集
なのですが、さらにこの中で、貧しさと豊かさのパラドクスを鋭く指摘した
箇所もずっしり心に残ったので、少々長くなりますが、ぜひ読んで
みてください。
「北インドでは、カースト制度の外にある、最下層の人たちの村を
訪ねたことがある。もちろん電気もない。家は泥の家で六畳と三畳
くらいの室、それに細長い廊下のような炊事用の空間がついているだけ
であった。中は暗くて、眼が馴れないと、足元が危ない。屋根は低い
から、家の中では、中央の部分くらいしかまともに立って歩けない。
家具などというものは全くなかった。一番大きな家具は、大きな
水がめであった。
中には人の気配もなかった。ただその家の前に高い竹を使った一種の
飾りものが誇らしげに立ててあった。
それはこの家に結婚式がある、という印なのであった。今花婿は、結婚式
のために町へ出掛けていて、夕方になると、花嫁を連れてこの家に
戻ってくるのだと言う。電気も家具もベッドもない家で、花嫁は
一生を送る。もしかするとこの狭い家に夫の両親と一緒に住むのかも
しれない。それでももし夫がいい人で、いつも彼女の傍らに付き添って
いてその悲しみを慰めてくれ、寒い日には抱いて肌で温めてくれ、時々
質素なサリーを買ってくれたなら、その貧しさの中には、やはり貧しいが
故にはっきりと実感できる確実な幸せがあるのである。
それはこの恵まれた日本で、エアコンつきの家、シャンデリア、ピアノ、
ステレオ、システム・キッチン、テレビ、携帯電話、ジャグジー風呂、
有名化粧品に溢れた鏡台、衣装箪笥、大理石の客間、ホーム・バー、
ファミコン、ゴルフ用具、絵画や骨董、自動車など、あらゆるものを
持っている家庭の妻が、一生夫と心を通わせたことがないという自覚を
持つケースより、はるかに幸福というものだろう。
本当の貧しさを知らない日本人は、いつまでも、成熟した、母性的、
あるいは父性的心情に到達しない。よく日本は、世界的経済大国であると
言いながら、豊かさを感じられないのはなぜだろう、と言う。
その答えは簡単だ。貧しさがないから、豊かさがわからないのだ。
失業も老境も病気もどこかで保障されているから、それらで苦しんでいる
人を救う気持ちにもならないし、救われる喜びも知らなくなったのである。
貧困は悪いものだ。しかし決して悪いだけのものではない。
それは人間の原点として輝いている。その出発点を知らない我々は、
永遠に浮浪する浮かばれない魂にしかなり得ないのである。」
曽野綾子著『悪と不純の楽しさ』WAC出版
「人間の原点、または出発点としての貧しさ」を、しっかりと想像し
よく考えてみたいと思います。私は、少なくとも死に近づく年齢までには、
何としても「永遠に浮浪する魂」というものを返上すべくどうにか努めたい、
と思いました。"fragile"な何かが、完全に毀損する前に。
ではまた明日、おやすみなさいzz...
最高気温が久しぶりに25℃を下回ったらしいですね~。
急に寒くなると、体がついていけず風邪っぴきになりやすいので、
十分注意が必要ですよ。。
先ほどスクールに行く途中、ジャズピアニスト小曽根真さんの
番組"OZ meets jazz(saturdays 21:00~21:54)"を聴いていたら、
1曲目があのカサンドラ・ウイルソンによるスティングの名曲
"fragile(フラジャイル)"で、思わず聴き入ってしまいました。
ハスキーで低い彼女の声はまさにクール(!)なのですが、その反面
情熱的でもあり魅力にあふれる、大好きなグラミーアーティストです。
ジャズの帝王マイルス・デイビスをトリビュートし、1999年に
リリースされた「トラヴェリング・マイルス」からファンになりました。
この"fragile"は、2004年発売のアルバム"glamoured"に収められて
いますので、ぜひ聴いてみてください。ちなみにこのタイトル
glamoured(グラマード)の意味は、「華やかな」または「一瞬にして
心奪われる」ということだそう・・。音楽にもやはりそういった
不思議な魔法の力があるということでしょうね。
さて、昨日の記事で曽野綾子さんの『悪と不純の楽しさ』を取り上げました。
よく考えるに値するテーマがいくつもある、とても面白いエッセイ集
なのですが、さらにこの中で、貧しさと豊かさのパラドクスを鋭く指摘した
箇所もずっしり心に残ったので、少々長くなりますが、ぜひ読んで
みてください。
「北インドでは、カースト制度の外にある、最下層の人たちの村を
訪ねたことがある。もちろん電気もない。家は泥の家で六畳と三畳
くらいの室、それに細長い廊下のような炊事用の空間がついているだけ
であった。中は暗くて、眼が馴れないと、足元が危ない。屋根は低い
から、家の中では、中央の部分くらいしかまともに立って歩けない。
家具などというものは全くなかった。一番大きな家具は、大きな
水がめであった。
中には人の気配もなかった。ただその家の前に高い竹を使った一種の
飾りものが誇らしげに立ててあった。
それはこの家に結婚式がある、という印なのであった。今花婿は、結婚式
のために町へ出掛けていて、夕方になると、花嫁を連れてこの家に
戻ってくるのだと言う。電気も家具もベッドもない家で、花嫁は
一生を送る。もしかするとこの狭い家に夫の両親と一緒に住むのかも
しれない。それでももし夫がいい人で、いつも彼女の傍らに付き添って
いてその悲しみを慰めてくれ、寒い日には抱いて肌で温めてくれ、時々
質素なサリーを買ってくれたなら、その貧しさの中には、やはり貧しいが
故にはっきりと実感できる確実な幸せがあるのである。
それはこの恵まれた日本で、エアコンつきの家、シャンデリア、ピアノ、
ステレオ、システム・キッチン、テレビ、携帯電話、ジャグジー風呂、
有名化粧品に溢れた鏡台、衣装箪笥、大理石の客間、ホーム・バー、
ファミコン、ゴルフ用具、絵画や骨董、自動車など、あらゆるものを
持っている家庭の妻が、一生夫と心を通わせたことがないという自覚を
持つケースより、はるかに幸福というものだろう。
本当の貧しさを知らない日本人は、いつまでも、成熟した、母性的、
あるいは父性的心情に到達しない。よく日本は、世界的経済大国であると
言いながら、豊かさを感じられないのはなぜだろう、と言う。
その答えは簡単だ。貧しさがないから、豊かさがわからないのだ。
失業も老境も病気もどこかで保障されているから、それらで苦しんでいる
人を救う気持ちにもならないし、救われる喜びも知らなくなったのである。
貧困は悪いものだ。しかし決して悪いだけのものではない。
それは人間の原点として輝いている。その出発点を知らない我々は、
永遠に浮浪する浮かばれない魂にしかなり得ないのである。」
曽野綾子著『悪と不純の楽しさ』WAC出版
「人間の原点、または出発点としての貧しさ」を、しっかりと想像し
よく考えてみたいと思います。私は、少なくとも死に近づく年齢までには、
何としても「永遠に浮浪する魂」というものを返上すべくどうにか努めたい、
と思いました。"fragile"な何かが、完全に毀損する前に。
ではまた明日、おやすみなさいzz...