2008年06月14日
最後の試験
こんばんは、今日はいいお天気となりましたね~。今朝は日曜に
葛飾区民大会の本戦を控えるはるさんたちと、ダブルス練習を
計6時間やりました。長い時間は久しぶりなので、ややしんど
かったですが、よい練習になりすごく楽しめました。明日の本戦は
もちろん強敵揃いでしょうが、「失うもの無し!」の気持ちで、
攻めるテニスを最初のゲームから期待したいと思います!!
テニスから戻った後、今週平日は少ししかランニングできなかった
ので、着替えもせずに自宅から葛西臨海公園まで、いつもの
コースをジョグ。午後4時まえでやや涼しくなってきたせいか
大勢の人たちが、東京湾からの潮風に初夏の匂いを感じつつ、
リラックスしてランニングや散歩を楽しんでいる様子。
私も往復約14キロを気持ちよく走れました!
そういえば今月は6月、街中に美しいアジサイの花が咲いていて、
私たちの心を和ませてくれます。群青、みず色、紫ほか花の色も
あざやかでキレイですし、雨の日に雫を浮かべてしめやかな
花房もまた、みずみずしくてとても素敵ですよね。季節によって、
さまざまな花木を楽しめる生活ができるということも、豊かな
幸せのひとつである、と思えました。
さて今週読んだ本から、昨年逝去されたユング心理学者の河合
先生と、ヴァチカン市国のカトリック大司教ヨゼフ・ピタウさん
との対談本の内容を一部ご紹介したいと思います。ピタウさんは
過去日本滞在20年を超える方でもあり、この対談のなかで
河合先生とともに「祈り」や「赦し」の大切さ、それと資本主義や
民主主義とはキリスト教の厳しい倫理観を前提としているため、
それなしでは単なる利己主義に陥る危険がある、との指摘が
なされ、特に印象に残りました。
他、「いかに死ぬか」その準備が大切だ、というくだりも以下の
とおり示唆に富んでいました。
「(河合)私はよく現代の人に話をするときに言うんです。
皆さんはいかに生きるかばかり勉強しすぎて、いかに死ぬかの
勉強を一つもしていないから困るんだ、と。
(ピタウ)1981年にヨハネ・パウロ二世が日本にいらした時に、
日本武道館で高校生との対話がありました。多くの高校生は
そのとき大学入試試験勉強をしていたので、ヨハネ・パウロ二世は、
がんばってください、でも忘れないでね、死ぬ時にもう一つの試験が
あることを、と言いました。いい人間であったかどうかが問われる
んです。ヨハネ・パウロ二世は簡単に言うんです。人間として
どう死ぬかを忘れないで、いいね?と。
(河合)それが典型的に出てくることとして、高齢者になった方が、
試験の夢を見られます。大学を卒業して、ちゃんと仕事もしてきて
いるのに、急にまた大学の入試を受けるんだけれど、準備ができて
ないとか、それから入試にいったら時間に遅れたとか言うんで、
『あんた、もういっぺん試験があるのを忘れてるからや』と、
よく言うんです。それは本当によく出てきます。」
ヨゼフ・ピタウ、河合隼雄「聖地アッシジの対話」藤原書店
確かに毎日の忙しい生活の中では、自分がどのように生を閉じるか、
などほとんど考えてこなかったと思います。
そこで「いかに死ぬべきか」その最終試験の問題とは、一体
どんなものかな?、と私なりに考えてみたのです。
その答えは、、今のところ
「愛してくれる家族や信じられる友人に、悔いなく全てを与えた
人生であったか」というものでした。
これからもずっと考えてみようと思います。
それではまた、おやすみなさいzz...
葛飾区民大会の本戦を控えるはるさんたちと、ダブルス練習を
計6時間やりました。長い時間は久しぶりなので、ややしんど
かったですが、よい練習になりすごく楽しめました。明日の本戦は
もちろん強敵揃いでしょうが、「失うもの無し!」の気持ちで、
攻めるテニスを最初のゲームから期待したいと思います!!
テニスから戻った後、今週平日は少ししかランニングできなかった
ので、着替えもせずに自宅から葛西臨海公園まで、いつもの
コースをジョグ。午後4時まえでやや涼しくなってきたせいか
大勢の人たちが、東京湾からの潮風に初夏の匂いを感じつつ、
リラックスしてランニングや散歩を楽しんでいる様子。
私も往復約14キロを気持ちよく走れました!
そういえば今月は6月、街中に美しいアジサイの花が咲いていて、
私たちの心を和ませてくれます。群青、みず色、紫ほか花の色も
あざやかでキレイですし、雨の日に雫を浮かべてしめやかな
花房もまた、みずみずしくてとても素敵ですよね。季節によって、
さまざまな花木を楽しめる生活ができるということも、豊かな
幸せのひとつである、と思えました。
さて今週読んだ本から、昨年逝去されたユング心理学者の河合
先生と、ヴァチカン市国のカトリック大司教ヨゼフ・ピタウさん
との対談本の内容を一部ご紹介したいと思います。ピタウさんは
過去日本滞在20年を超える方でもあり、この対談のなかで
河合先生とともに「祈り」や「赦し」の大切さ、それと資本主義や
民主主義とはキリスト教の厳しい倫理観を前提としているため、
それなしでは単なる利己主義に陥る危険がある、との指摘が
なされ、特に印象に残りました。
他、「いかに死ぬか」その準備が大切だ、というくだりも以下の
とおり示唆に富んでいました。
「(河合)私はよく現代の人に話をするときに言うんです。
皆さんはいかに生きるかばかり勉強しすぎて、いかに死ぬかの
勉強を一つもしていないから困るんだ、と。
(ピタウ)1981年にヨハネ・パウロ二世が日本にいらした時に、
日本武道館で高校生との対話がありました。多くの高校生は
そのとき大学入試試験勉強をしていたので、ヨハネ・パウロ二世は、
がんばってください、でも忘れないでね、死ぬ時にもう一つの試験が
あることを、と言いました。いい人間であったかどうかが問われる
んです。ヨハネ・パウロ二世は簡単に言うんです。人間として
どう死ぬかを忘れないで、いいね?と。
(河合)それが典型的に出てくることとして、高齢者になった方が、
試験の夢を見られます。大学を卒業して、ちゃんと仕事もしてきて
いるのに、急にまた大学の入試を受けるんだけれど、準備ができて
ないとか、それから入試にいったら時間に遅れたとか言うんで、
『あんた、もういっぺん試験があるのを忘れてるからや』と、
よく言うんです。それは本当によく出てきます。」
ヨゼフ・ピタウ、河合隼雄「聖地アッシジの対話」藤原書店
確かに毎日の忙しい生活の中では、自分がどのように生を閉じるか、
などほとんど考えてこなかったと思います。
そこで「いかに死ぬべきか」その最終試験の問題とは、一体
どんなものかな?、と私なりに考えてみたのです。
その答えは、、今のところ
「愛してくれる家族や信じられる友人に、悔いなく全てを与えた
人生であったか」というものでした。
これからもずっと考えてみようと思います。
それではまた、おやすみなさいzz...
こんばんは。そうですね、、事故や病気で
あっという間に、という可能性もあるんですよね。
悔いなく、自分なりに精一杯生きたい!と思いました。
また明日~!
本戦も応援して頂きありがとうございます!
自分のプレーが出来なかったのがくいが残ります・・・
さて、今年の夏、思いっきり伸ばしたいですね!
ダブルスにおいてサーブはかなり重要なウエイトを占めます。
又一緒に宜しくお願いします!
こんばんは。日曜はお疲れさまでした。
本戦ベスト16!質の高いプレーで楽しませて
もらいましたよ。きっと次の大会でも、2人のこの経験が
生かされますね。この夏、思いきり練習してさらに
レベルアップしたいです。今後ともよろしくお願いします!!