2008年03月12日
自身のために泣く
こんばんは。今日は少し肌寒い日になりましたね。それでも
最高気温が15℃とか18℃なんていう週間天気予報を見ると、
長い冬が終わってとうとう春本番だなーとしみじみ思えますね。
テニスをしてもランニングでも、汗の量が急に増えたような気が
しますが、、そのぶん飲む量も激増しているので全く痩せません。。
今週土曜日は、はるさんのサークルメンバーでテニス合宿!
朝5時起きで千葉県白子に行ってきます。また存分にテニスできそう
ですごく楽しみです!
さて昨日一気に読み終えたのが、ノンフィクション作家関岡英之さんの
初出作品「なんじ自身のために泣け」。何か新約聖書にある預言者の言葉
みたいですが・・。著者は大学卒業後、都市銀行に14年勤務したあと
文筆業に転出。特にアメリカ発のグローバリゼーションに警告を発し、
米から日本へ毎年突き出される「年次改革要望書」の存在を明らかにし
その問題点を鋭く追及されたことで一躍有名となられました。
またそのせいか関岡さんの著書は実に1年以上、米国最大の
ネット書店アマゾンにおいて品切れ扱いとされ、販売されなかった
ことも問題となったようです。
この作品のなかで、特に心に残ったのは以下の箇所です。著者が
イスラームの国々を旅し、経済生活には全く非合理としか思えない
1日5回の礼拝や1か月のラマダン(断食)を直に眼にしたり、
伝説の王フセインが殉教するというあまりに有名な物語の説教を
聴くたびに大人の男が大勢、声を震わせて泣きじゃくる場面に
出くわして思うくだりです。
「イスラームの人々を観察していると、彼らには経済合理性よりも
何かもっと人間にとって切実なものが見えているような気がして
ならない。それは彼ら自身の歴史である。
私たちが経済的に没落してゆくとき、私たちを精神的に支えて
くれるもの、それは私たち自身の歴史しかないのではないか。
しかし私たちは、ヨーロッパやアメリカから受け入れた近代合理
主義の価値観によって、父祖たちの歴史から切り離されてしまって
いる。このことは本来、大の男が肩を震わせ号泣してもおかしく
ないほど、寄る辺なく、心もとないことなのではないだろうか。
だが、いまさら泣きたいと思ってあたりを見回しても、誰もが
魂を揺さぶられるような物語を、私たちはもはや共有していない。
私たちのあいだには、互いを結びつけてくれるような拠りどころが
何もない。
これまで疑うことさえ気づかなかった近代合理主義の向こう側に、
切り捨ててきたものの重大さにようやくめざめ、取り返しのつかない
喪失感に慄然として、私たちはいま、蒼ざめて立ちすくんでいる。
これからの時代、たとえ日本経済が衰退していこうとも、心静かに
生きていくだけの精神的な強さというものを、果たして日本人は
持ち合わせているのだろうか。」
関岡英之著『なんじ自身のために泣け』河出書房新社
開国とともに西洋の合理主義を貪欲に取り入れて短期間に適応し、
世界有数の大国となった日本。しかし同時に私たちは、父祖から
連綿と受け継がれた豊かな歴史から切断されて連続性を失い、
拠って立つべき共通の物語をも失くしてしまいました。経済的繁栄を
謳歌する私たちはその一方で、いまやなんら寄る辺なく不安な存在
である自分自身のために嘆き悲しみ泣くことさえも思い至らない、
単なる「無数の砂の一粒」になってしまったようにも思えます。
社会の矛盾が各所で噴出する現代である今だからこそ一度、
民主、進歩、自由といった欧米の普遍的価値観をそのまま鵜呑みに
せず、自らの歴史や伝統の中に答えを探し求めるべき時期がとうとう
やってきたのかもしれない、と思いました。
ではまた、おやすみなさいzz...
最高気温が15℃とか18℃なんていう週間天気予報を見ると、
長い冬が終わってとうとう春本番だなーとしみじみ思えますね。
テニスをしてもランニングでも、汗の量が急に増えたような気が
しますが、、そのぶん飲む量も激増しているので全く痩せません。。
今週土曜日は、はるさんのサークルメンバーでテニス合宿!
朝5時起きで千葉県白子に行ってきます。また存分にテニスできそう
ですごく楽しみです!
さて昨日一気に読み終えたのが、ノンフィクション作家関岡英之さんの
初出作品「なんじ自身のために泣け」。何か新約聖書にある預言者の言葉
みたいですが・・。著者は大学卒業後、都市銀行に14年勤務したあと
文筆業に転出。特にアメリカ発のグローバリゼーションに警告を発し、
米から日本へ毎年突き出される「年次改革要望書」の存在を明らかにし
その問題点を鋭く追及されたことで一躍有名となられました。
またそのせいか関岡さんの著書は実に1年以上、米国最大の
ネット書店アマゾンにおいて品切れ扱いとされ、販売されなかった
ことも問題となったようです。
この作品のなかで、特に心に残ったのは以下の箇所です。著者が
イスラームの国々を旅し、経済生活には全く非合理としか思えない
1日5回の礼拝や1か月のラマダン(断食)を直に眼にしたり、
伝説の王フセインが殉教するというあまりに有名な物語の説教を
聴くたびに大人の男が大勢、声を震わせて泣きじゃくる場面に
出くわして思うくだりです。
「イスラームの人々を観察していると、彼らには経済合理性よりも
何かもっと人間にとって切実なものが見えているような気がして
ならない。それは彼ら自身の歴史である。
私たちが経済的に没落してゆくとき、私たちを精神的に支えて
くれるもの、それは私たち自身の歴史しかないのではないか。
しかし私たちは、ヨーロッパやアメリカから受け入れた近代合理
主義の価値観によって、父祖たちの歴史から切り離されてしまって
いる。このことは本来、大の男が肩を震わせ号泣してもおかしく
ないほど、寄る辺なく、心もとないことなのではないだろうか。
だが、いまさら泣きたいと思ってあたりを見回しても、誰もが
魂を揺さぶられるような物語を、私たちはもはや共有していない。
私たちのあいだには、互いを結びつけてくれるような拠りどころが
何もない。
これまで疑うことさえ気づかなかった近代合理主義の向こう側に、
切り捨ててきたものの重大さにようやくめざめ、取り返しのつかない
喪失感に慄然として、私たちはいま、蒼ざめて立ちすくんでいる。
これからの時代、たとえ日本経済が衰退していこうとも、心静かに
生きていくだけの精神的な強さというものを、果たして日本人は
持ち合わせているのだろうか。」
関岡英之著『なんじ自身のために泣け』河出書房新社
開国とともに西洋の合理主義を貪欲に取り入れて短期間に適応し、
世界有数の大国となった日本。しかし同時に私たちは、父祖から
連綿と受け継がれた豊かな歴史から切断されて連続性を失い、
拠って立つべき共通の物語をも失くしてしまいました。経済的繁栄を
謳歌する私たちはその一方で、いまやなんら寄る辺なく不安な存在
である自分自身のために嘆き悲しみ泣くことさえも思い至らない、
単なる「無数の砂の一粒」になってしまったようにも思えます。
社会の矛盾が各所で噴出する現代である今だからこそ一度、
民主、進歩、自由といった欧米の普遍的価値観をそのまま鵜呑みに
せず、自らの歴史や伝統の中に答えを探し求めるべき時期がとうとう
やってきたのかもしれない、と思いました。
ではまた、おやすみなさいzz...
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