2007年08月02日
志は煙霞にあり
こんばんは、ようやく梅雨明けらしいですね。今朝は新宿駅に
着いたとたん、夏らしい土砂降りにあたって朝から全身びしょ
濡れで出社・・。でも日中は快晴で、気分最高でしたね。
夏はやっぱり暑すぎるくらいで丁度良いかもしれません。
週末もこの調子でお願いしま~す!
昨日の晩は、ずっと会っていなかった旧友4人と渋谷で再会。
約5年ぶりながら雰囲気は全然変わらなく、でもみんな(私以外?)
しっかり大人の男顔をしていました。昔とは職場や家族環境は
お互い大きく変わっていますが、性格や話し方などはほとんど同じで
面白かったです。。共通の知人の話題や近況をあれこれ話しつつ、
本当にあっという間の一夜でした。ときには旧知の友と思い切り
バカ話なんかをしたりするのも、すごく楽しいものですね~。
さて待ちに待った夏休みがとうとうやってきますね!私の休みは
再来週の1週間ですが、妻の休みが残念ながら合わないため、
下旬に大好きな夏の京都をまた少しだけ訪れることにしました。
4年前の夏、午後の強い日射しを浴びつつ、エリザベス女王が
75年に訪れて以来、あまりにも有名な禅寺である龍安寺の石庭を
初めて訪ねました。ものすごく暑くてめまいを覚えながらも、庭に相対
して腰を据え、白砂と15個の石が絶妙な配置によって調和する箱庭を
眺めていると、不思議と心が落ち着き澄んで、何か意識が集中してくる
ような心地がしたのを憶えています。様々な外国語を含む話し声や
夏虫の音などで、実際はうるさいくらいだったのでしょうが、
それでも「静寂」という言葉が相応しいとさえ思いました。
今夏もまた行きたいと考えています。
先日読んだ京都のお寺に関わる本のうち、とりわけ寺院に庭を作る
その意味についての箇所が、ちょっと印象に残りましたのでご紹介します。
「庭造りを手掛ける石立僧(いしだてそう)の始祖と言われ、有名な
苔寺(西芳寺)の作庭をした禅僧・夢窓疎石。彼の説法をまとめた
『夢中問答集』には「志は煙霞にあり」という言葉がある。
煙霞とは自然のことであり、自然にこそめざすものがあるというのだ。
また「山水に得失なし、得失は人心にあり」とも記され、自然そのものに
損得や利害はなく、それらは人の心にこそあるもので、損得利害を
捨てて、山水を修行の手立てとせよというのである。つまり作庭は疎石に
とって修行であると同時に、人々を仏法に導く手だてであったことがわかる。」
宮元 健次『京都 格別な寺』光文社新書
仏教の究極の目的は民衆の救済といわれています。だとすれば寺院や
その庭は人々の心を癒し救い守り続けることで、先の大戦を含む幾百年の
時代の大きなうねりを、民衆とともに奇跡的に乗り越えてきたのでしょうね。
で、ちょっと話が違うかもしれませんが、私の父母はずいぶん昔から
野菜づくりに凝っているのです。畑を耕して種をまき、毎日毎日
飽きずに世話をして秋に収穫を迎えます。その日々の過程もまた
作庭と同様、煙霞に教えや救いを得ているのかも知れないですね。
ではまた、おやすみなさいzz...
着いたとたん、夏らしい土砂降りにあたって朝から全身びしょ
濡れで出社・・。でも日中は快晴で、気分最高でしたね。
夏はやっぱり暑すぎるくらいで丁度良いかもしれません。
週末もこの調子でお願いしま~す!
昨日の晩は、ずっと会っていなかった旧友4人と渋谷で再会。
約5年ぶりながら雰囲気は全然変わらなく、でもみんな(私以外?)
しっかり大人の男顔をしていました。昔とは職場や家族環境は
お互い大きく変わっていますが、性格や話し方などはほとんど同じで
面白かったです。。共通の知人の話題や近況をあれこれ話しつつ、
本当にあっという間の一夜でした。ときには旧知の友と思い切り
バカ話なんかをしたりするのも、すごく楽しいものですね~。
さて待ちに待った夏休みがとうとうやってきますね!私の休みは
再来週の1週間ですが、妻の休みが残念ながら合わないため、
下旬に大好きな夏の京都をまた少しだけ訪れることにしました。
4年前の夏、午後の強い日射しを浴びつつ、エリザベス女王が
75年に訪れて以来、あまりにも有名な禅寺である龍安寺の石庭を
初めて訪ねました。ものすごく暑くてめまいを覚えながらも、庭に相対
して腰を据え、白砂と15個の石が絶妙な配置によって調和する箱庭を
眺めていると、不思議と心が落ち着き澄んで、何か意識が集中してくる
ような心地がしたのを憶えています。様々な外国語を含む話し声や
夏虫の音などで、実際はうるさいくらいだったのでしょうが、
それでも「静寂」という言葉が相応しいとさえ思いました。
今夏もまた行きたいと考えています。
先日読んだ京都のお寺に関わる本のうち、とりわけ寺院に庭を作る
その意味についての箇所が、ちょっと印象に残りましたのでご紹介します。
「庭造りを手掛ける石立僧(いしだてそう)の始祖と言われ、有名な
苔寺(西芳寺)の作庭をした禅僧・夢窓疎石。彼の説法をまとめた
『夢中問答集』には「志は煙霞にあり」という言葉がある。
煙霞とは自然のことであり、自然にこそめざすものがあるというのだ。
また「山水に得失なし、得失は人心にあり」とも記され、自然そのものに
損得や利害はなく、それらは人の心にこそあるもので、損得利害を
捨てて、山水を修行の手立てとせよというのである。つまり作庭は疎石に
とって修行であると同時に、人々を仏法に導く手だてであったことがわかる。」
宮元 健次『京都 格別な寺』光文社新書
仏教の究極の目的は民衆の救済といわれています。だとすれば寺院や
その庭は人々の心を癒し救い守り続けることで、先の大戦を含む幾百年の
時代の大きなうねりを、民衆とともに奇跡的に乗り越えてきたのでしょうね。
で、ちょっと話が違うかもしれませんが、私の父母はずいぶん昔から
野菜づくりに凝っているのです。畑を耕して種をまき、毎日毎日
飽きずに世話をして秋に収穫を迎えます。その日々の過程もまた
作庭と同様、煙霞に教えや救いを得ているのかも知れないですね。
ではまた、おやすみなさいzz...