2007年10月05日
「千年の祈り」
こんばんは。今日は午後から仕事をお休みし、AIG観戦に行ってきました!
先週末の前夜祭以来でしたが、お客さんが本当にたくさん入ってますね。
注目のヒューイットの試合などは、平日なのに7割以上の席が埋まって
いたと思います。
会場に着く前に、朝から行っていたテニス仲間のはるさんにメール。
朝からすごく日射しが強く暑かったようです。しかし、空や雲は確実に
秋の様相ですし、とんぼもゆったり気持ち良さそうにコートと観客の
あいだを飛び交っていて、少しほのぼのとしてしまいました。
そしてトッププレイヤーの真剣なテニスは、まさに興行にふさわしい
価値あるプレーの連続で、またちょっぴりでも自分のプレーに役立て
たいと思わせました。フェレールの芸術的なリターンとテイクバックの早さ、
ヒューイットのフットワークとよく曲がっているヒザ。あとガスケの
シューズが、私と同じアシックスのゲルレベルで思わずうれしく
思ったのと、ヒューイットに激戦の末勝利した長身ビッグ
サーバーのカルロビッチが、タオルを渡してくれたボール
パーソンやドリンク担当の人に、試合後お礼の挨拶をしている
ところに、人間としての品や優しさを感じました。
明日も10時から有明に行って、女子シングル決勝や
男子シングル準決勝ほかを観戦してきますね~!
さて今日のタイトルは近年大注目の中国人作家イーユン・リーの
短編集の題名。現在はアメリカに住み、大学の創作科教授
としても活躍されているようです。
彼女の文章はまさに簡潔で正確。時代や政治の大きなうねりを背景に、
家族や恋人、友人との結びつきのはかなさを描くことで、「哀しみ」
という濃い感情を伝えることに成功していると思います。
特に印象に残ったのは、表題作の短編「千年の祈り」の中で、
離婚した娘を案じて米国にやってきた父が口にした
『修百世可同舟(シウパイシークウントンジョウ)』という言葉。
これは「誰かと同じ船で川をわたるためには、百世代のあいだ
祈らなくてはならない」という意味だそうです。気の遠くなる
くらいの長い年月の祈りによって、初めて人との出会いや関係が
出来るのだと。
この父、石氏は気難しい娘を得意の料理を振る舞って励ますのだが・・。
「二の句を待たずに娘は寝室のドアを閉じる。娘がほとんど
手をつけなかった料理を石氏は見やる。刻んだキノコとエビと
ショウガを詰めて焼いた豆腐に、タケノコと赤唐辛子とサヤエンドウを
合せたもの。娘は毎晩料理をたたえてはくれるが、その言葉に
心がこもっていないのを感じる。料理が父の祈りだということを
娘は知らない。そして、祈りにこたえてはくれない。」
イーユン・リー「千年の祈り」篠森ゆりこ訳・新潮社
人との付き合いの裏には長い年月の祈りが必ずあり、さらには
その祈りには色々な形があるのだということですね、言葉に
なるものもならないものも・・。
そう思えば、ふだん何気なく過ごし関わっている家族や友人たち・・、
そのかけがえのなさを、日毎に実感できるのかもしれませんね。
ではまた、おやすみなさいzz...
先週末の前夜祭以来でしたが、お客さんが本当にたくさん入ってますね。
注目のヒューイットの試合などは、平日なのに7割以上の席が埋まって
いたと思います。
会場に着く前に、朝から行っていたテニス仲間のはるさんにメール。
朝からすごく日射しが強く暑かったようです。しかし、空や雲は確実に
秋の様相ですし、とんぼもゆったり気持ち良さそうにコートと観客の
あいだを飛び交っていて、少しほのぼのとしてしまいました。
そしてトッププレイヤーの真剣なテニスは、まさに興行にふさわしい
価値あるプレーの連続で、またちょっぴりでも自分のプレーに役立て
たいと思わせました。フェレールの芸術的なリターンとテイクバックの早さ、
ヒューイットのフットワークとよく曲がっているヒザ。あとガスケの
シューズが、私と同じアシックスのゲルレベルで思わずうれしく
思ったのと、ヒューイットに激戦の末勝利した長身ビッグ
サーバーのカルロビッチが、タオルを渡してくれたボール
パーソンやドリンク担当の人に、試合後お礼の挨拶をしている
ところに、人間としての品や優しさを感じました。
明日も10時から有明に行って、女子シングル決勝や
男子シングル準決勝ほかを観戦してきますね~!
さて今日のタイトルは近年大注目の中国人作家イーユン・リーの
短編集の題名。現在はアメリカに住み、大学の創作科教授
としても活躍されているようです。
彼女の文章はまさに簡潔で正確。時代や政治の大きなうねりを背景に、
家族や恋人、友人との結びつきのはかなさを描くことで、「哀しみ」
という濃い感情を伝えることに成功していると思います。
特に印象に残ったのは、表題作の短編「千年の祈り」の中で、
離婚した娘を案じて米国にやってきた父が口にした
『修百世可同舟(シウパイシークウントンジョウ)』という言葉。
これは「誰かと同じ船で川をわたるためには、百世代のあいだ
祈らなくてはならない」という意味だそうです。気の遠くなる
くらいの長い年月の祈りによって、初めて人との出会いや関係が
出来るのだと。
この父、石氏は気難しい娘を得意の料理を振る舞って励ますのだが・・。
「二の句を待たずに娘は寝室のドアを閉じる。娘がほとんど
手をつけなかった料理を石氏は見やる。刻んだキノコとエビと
ショウガを詰めて焼いた豆腐に、タケノコと赤唐辛子とサヤエンドウを
合せたもの。娘は毎晩料理をたたえてはくれるが、その言葉に
心がこもっていないのを感じる。料理が父の祈りだということを
娘は知らない。そして、祈りにこたえてはくれない。」
イーユン・リー「千年の祈り」篠森ゆりこ訳・新潮社
人との付き合いの裏には長い年月の祈りが必ずあり、さらには
その祈りには色々な形があるのだということですね、言葉に
なるものもならないものも・・。
そう思えば、ふだん何気なく過ごし関わっている家族や友人たち・・、
そのかけがえのなさを、日毎に実感できるのかもしれませんね。
ではまた、おやすみなさいzz...