2008年02月24日
昭和維新の朝
こんばんは。昨日から風が強く、春一番だそうですね。。
北海道・東北地方では暴風雪で交通も大変なことになっているようで、
大丈夫でしょうか。私も来週末は北海道の実家へ行きます・・。
今日も4時間テニスの予定でしたが、強風によって残念ながら中止。
お天気にはどうやっても勝てませんよね。それでも昼から、楽しみに
していた横浜国際女子駅伝を観れたのと、借りていた本何冊かを
まとめて読めたので落ち着いた良い休日になりました。
さて先日仕事であの東京ミッドタウンに行ってきました。商談の
あと少しだけ広い庭園に出てみたり、いくつかの店舗を回ってみた
のですが、到るところ質の高さを感じさせ、とても心地よい施設だなー
と感心してしまいました。やはり価格もそれなりなんですけどね。
この六本木の旧防衛庁跡地からある冬の雪の朝、昭和の歴史を色濃く
刻んだある有名な事件が始まったとは、つい最近まで全く知りません
でした・・。
その事件とは、俗にいう二・二六事件のこと。今から遡って72年前、
陸軍急進派(軍幹部の腐敗を指摘し天皇親政を追及する理想主義
一派で、皇道派とも言われます)の青年将校が部下1483名
とともに蜂起、軍事クーデターを企てて同月29日の投降までの
3日間、日本政治の中枢を武力で支配下に置いたものです。
先日読んだ工藤美代子さんの新刊「昭和維新の朝(あした)」は、
その事件の思想的精神的支柱となった陸軍少将予備役斎藤瀏(きよし)
さんと、その娘の歌人・斎藤史(ふみ)さんの、波乱に満ちあふれた
生涯を陰影深く描いた力作。不勉強な私は「若い軍人たちによる
弾薬臭い一事件」と人ごとのごとくわずかな理解しかありません
でしたが、本書でこの事件の示す意味を改めて考えさせられ、
深く感銘を受けましたので少しご紹介したいと思います。
主人公はこの二・二六事件をほう助した罪で逆賊の汚名を受けて
実刑となり、長く牢に繋がれた斎藤瀏。そして彼の娘である史の、
旭川の小学校時代に幼なじみだった青年将校栗原安秀中尉は、
事件の実行首謀者の一人として極刑に処せられてしまいます。
彼ら男たちの叶えられなかった想いを史は歌う。戦後も、
昭和天皇に背いた逆賊の娘として歌を詠み続けたのだったが・・。
平成5年、85歳になった史は突如宮中晩餐会に招かれ、今上天皇は
彼女にお声を掛けられました。
「お父上は、斎藤瀏さんでしたね。軍人で・・・」
そのお声を聞いた史は「二・二六事件の叛乱の男です」とは決して
言えずに、「初めは軍人で、おしまいはそうでなくなりまして、
おかしな男でございます」と答えたそうです。
さらに平成9年1月14日、史が88歳のとき、宮中御歌会始の
召人に選定されました。召人とは、天皇から毎年ただ一人召されて
歌会始の御題を歌う者。その日の朝、宮殿松の間に向かう大きな
階段を前にして彼女は呟きました。
「私はもう一人の人と、今日はこの階段を登っているのよ」と。
その人とは、父瀏(きよし)のことか、それとも幼なじみの栗原中尉の
ことだったのでしょうか。
歌会始の儀式にて、ついに史の歌が宮殿に響き渡りました。
『野の中にすがたゆたけき一樹あり 風も月日も枝に抱(いだ)きて』
儀式終了ののち控えの間にて、
「実はね、さっきこの階段を昇るとき、向こうの庭に軍服姿の連中が
並んでいるのが見えたのよ」「ああ、これで長い胸の思いが晴れました」
と近くの者にささやいたといいます。この昇殿による和歌が詠まれた
とき、この事件に関わった人々の”長く長く続いた昭和”が、
まさに終わった瞬間なのだと思いました。
昭和11年(1936年)2月26日の朝、夜半から降りしきる湿った雪を
軍靴で踏みしめ、青年士官栗原中尉とその配下約300名の兵が、
六本木の陸軍歩兵第一連隊から永田町の首相官邸へ整然と向かいました。
天皇ご親政を唱え、知行同一の精神による義戦のつもりが、
逆に昭和天皇から賊軍と断固拒否されて、結果的には極刑に処せ
られることになる彼らのその熱い吐息は、冬の朝の寒空に白濃く
はずみ霞んでいったものと思います。激動の昭和を真摯に生きた
憂国の志士たちの、その無念の想いに思わず胸を熱くしてしまいました。
時は進み平成20年2月、今の日本に生きる私たちが、できること
すべきことはいったい何だろうか・・と、改めて問われた気が
してなりません。
ではまた、おやすみなさいzz...
北海道・東北地方では暴風雪で交通も大変なことになっているようで、
大丈夫でしょうか。私も来週末は北海道の実家へ行きます・・。
今日も4時間テニスの予定でしたが、強風によって残念ながら中止。
お天気にはどうやっても勝てませんよね。それでも昼から、楽しみに
していた横浜国際女子駅伝を観れたのと、借りていた本何冊かを
まとめて読めたので落ち着いた良い休日になりました。
さて先日仕事であの東京ミッドタウンに行ってきました。商談の
あと少しだけ広い庭園に出てみたり、いくつかの店舗を回ってみた
のですが、到るところ質の高さを感じさせ、とても心地よい施設だなー
と感心してしまいました。やはり価格もそれなりなんですけどね。
この六本木の旧防衛庁跡地からある冬の雪の朝、昭和の歴史を色濃く
刻んだある有名な事件が始まったとは、つい最近まで全く知りません
でした・・。
その事件とは、俗にいう二・二六事件のこと。今から遡って72年前、
陸軍急進派(軍幹部の腐敗を指摘し天皇親政を追及する理想主義
一派で、皇道派とも言われます)の青年将校が部下1483名
とともに蜂起、軍事クーデターを企てて同月29日の投降までの
3日間、日本政治の中枢を武力で支配下に置いたものです。
先日読んだ工藤美代子さんの新刊「昭和維新の朝(あした)」は、
その事件の思想的精神的支柱となった陸軍少将予備役斎藤瀏(きよし)
さんと、その娘の歌人・斎藤史(ふみ)さんの、波乱に満ちあふれた
生涯を陰影深く描いた力作。不勉強な私は「若い軍人たちによる
弾薬臭い一事件」と人ごとのごとくわずかな理解しかありません
でしたが、本書でこの事件の示す意味を改めて考えさせられ、
深く感銘を受けましたので少しご紹介したいと思います。
主人公はこの二・二六事件をほう助した罪で逆賊の汚名を受けて
実刑となり、長く牢に繋がれた斎藤瀏。そして彼の娘である史の、
旭川の小学校時代に幼なじみだった青年将校栗原安秀中尉は、
事件の実行首謀者の一人として極刑に処せられてしまいます。
彼ら男たちの叶えられなかった想いを史は歌う。戦後も、
昭和天皇に背いた逆賊の娘として歌を詠み続けたのだったが・・。
平成5年、85歳になった史は突如宮中晩餐会に招かれ、今上天皇は
彼女にお声を掛けられました。
「お父上は、斎藤瀏さんでしたね。軍人で・・・」
そのお声を聞いた史は「二・二六事件の叛乱の男です」とは決して
言えずに、「初めは軍人で、おしまいはそうでなくなりまして、
おかしな男でございます」と答えたそうです。
さらに平成9年1月14日、史が88歳のとき、宮中御歌会始の
召人に選定されました。召人とは、天皇から毎年ただ一人召されて
歌会始の御題を歌う者。その日の朝、宮殿松の間に向かう大きな
階段を前にして彼女は呟きました。
「私はもう一人の人と、今日はこの階段を登っているのよ」と。
その人とは、父瀏(きよし)のことか、それとも幼なじみの栗原中尉の
ことだったのでしょうか。
歌会始の儀式にて、ついに史の歌が宮殿に響き渡りました。
『野の中にすがたゆたけき一樹あり 風も月日も枝に抱(いだ)きて』
儀式終了ののち控えの間にて、
「実はね、さっきこの階段を昇るとき、向こうの庭に軍服姿の連中が
並んでいるのが見えたのよ」「ああ、これで長い胸の思いが晴れました」
と近くの者にささやいたといいます。この昇殿による和歌が詠まれた
とき、この事件に関わった人々の”長く長く続いた昭和”が、
まさに終わった瞬間なのだと思いました。
昭和11年(1936年)2月26日の朝、夜半から降りしきる湿った雪を
軍靴で踏みしめ、青年士官栗原中尉とその配下約300名の兵が、
六本木の陸軍歩兵第一連隊から永田町の首相官邸へ整然と向かいました。
天皇ご親政を唱え、知行同一の精神による義戦のつもりが、
逆に昭和天皇から賊軍と断固拒否されて、結果的には極刑に処せ
られることになる彼らのその熱い吐息は、冬の朝の寒空に白濃く
はずみ霞んでいったものと思います。激動の昭和を真摯に生きた
憂国の志士たちの、その無念の想いに思わず胸を熱くしてしまいました。
時は進み平成20年2月、今の日本に生きる私たちが、できること
すべきことはいったい何だろうか・・と、改めて問われた気が
してなりません。
ではまた、おやすみなさいzz...
わたしの母の父はそのとき誘われ組だったそうです。何度も集会に出かけ母の祖父を心配させたと。
でも結局 参加しなかった。
わたしとしてはそのとき祖父を思いとどまらせたのは何だったのだろうと考えてしまいます。
この本読んでみますね。(例のタブッキは読了です )
ご無沙汰してしまいすみません・・・
先週は本当に風が凄かったですね。うちはボロイので倒れるか心配でした・・・。今週末ツヨシさんは北海道との事。来週又やりましょうね!後合宿も近いです!楽しみですね!
御祖父にまつわるお話し興味深いですね、ありがとう
ございます。その当時の、真剣でまじめな若人の思いや
ご家族の大変なご心配がよく伝わってきますね・・。
工藤美代子さんの著書は、皇室ものも含めて読み応えが
あると思います。
また何かお勧め本をご紹介くださいね、ではでは!
先週は残念だったね、メール何度もくれてありがとう。
15日の白子合宿は天気になるといいね!
また来週お願いしま~す!お土産買ってきますね、では。