2008年02月03日
良寛の恋
こんばんは。東京は昨夜半からしんしんと雪になり、夕方まで
降り続くとても寒い日でしたね。今日参加を予定していた
浦安シティマラソンも朝7時半ごろ中止決定、あと青梅マラソンも
早々に中止を決めました。浦安は7千人、青梅は2万人以上の
参加登録があったようで、出場を予定していたランナーは
本当に残念でしたね~。私は左足首の痛みが治まらず、今回は
天候にかかわらず出場しないつもりでいました。次回来月の
レースからは、体調を万全にして臨みたいと思います!
しかしこういった悪い条件のなかでレース経験を積むと、ふつうの
天気のときすごく楽に感じるでしょうね。まずは自分のケガを
早く治してから、練習を再開したいです。
さて静かな雪の日に家でゆっくり読んだのは、近年歴史ノンフィクション
ものに多く力作を輩出されている工藤美代子さんが昨年秋に上梓した
「良寛の恋~炎の女貞心尼」です。
江戸時代、越後の高徳な僧あるいは書家・歌人としてあまりにも有名な
良寛坊に、「恋」や「炎の女」の組み合わせはやや意外に思えますよね。
私が学生のころ、教職必修の教育学の先生がこの良寛の教えを授業で
取り上げたことを少し覚えていて、子どもと手毬やあそびうたなどを
通じて無心に遊ぶ、その純真さこそが誠の仏心である、というもの
だったと記憶しています。
その良寛が70歳のころ、越前国長岡の尼僧貞心と出会う。
24歳で出家した貞心尼はまだ30歳と若く、器量抜群かつ書も歌も
嗜むほど才気活発で、現代でいえば上昇志向の強いキャリア女性という
ところでしょうか。既に全国にその名を轟かせていた憧れの高僧良寛に、
初めて会ったときの感激の一首が残されています。
「君にかく あひ見ることのうれしさも まださめやらぬ 夢かとぞ思ふ」
歌は情感を豊かに強調するのが礼儀とはいえ、恋する女性の生命力を
躊躇なく表わしていて、圧倒されると同時に微笑ましくも感じます。
これに対する良寛の返歌も強く熱い。
「天が下に みつる玉より 黄金より 春のはじめの 君がおとづれ」
しかしながら二人とも仏の道に仕える身、出会いから良寛の死まで
5年にわたる睦まじき仲に、周囲の視線はやはり冷ややかなものも
あり、良寛和尚はやや距離を置こうと人目を気にするのですが、
さすがの貞心尼は度胸がすわっています。
「鳶はとび 雀はすずめ 鷺はさぎ 烏はからす なにかあやしき」
そして著者の工藤さんの想いが、文中私に特に強く感じられた部分は
こちら。
『恋しさに、ただただ歩く。その行為が私には、ふと羨ましく感じられた。
そうした時間の使い方を、私たち現代人は勿体なくてできない。電話や
メールは、いとも簡単に恋人や友人と連絡を取れる手段になっているが、
歩いて訪ねて行くまで、相手の様子がわからなかったら、不安や期待は
そのぶんだけ高まる。そしてやっと会えたときの喜びは、想像を絶する
ほど大きかったのではないか。
良寛の時代に比べると、人間関係はたしかに変わってしまった。人と
人との距離は、現代のほうが近くなったかもしれないが、その密度は
昔のほうが濃かった。
私はなぜか、うだるように暑い日中の東京にいながら、真冬の越後を
思いやった。厳寒の季節にも、貞心尼は雪を踏み分けて良寛のもとに
駆けつけた。それが難儀であればあるほど、彼女の愛情の深さが伝わる。
なによりも良寛が、その真心にほだされたろう。』
工藤美代子著「良寛の恋~炎の女 貞心尼」講談社
戒律の厳しい禅宗の僧侶であった良寛和尚と、素直で気の向くまま懸命に
良寛の最晩年を支え最期を看取った貞心尼。その真心に包まれて良寛は、
仏の世へもやすらかな気持ちで旅立てたのだと思います。
執着を捨てあるがまま、心の欲するまま素直に生きたこの二人を、
私たちがこの平成の世から禁断の恋うんぬんと叫びたてるのは、
はなはだ筋違いなこと、なのかも知れませんね。
ではまた、おやすみなさいzz...
降り続くとても寒い日でしたね。今日参加を予定していた
浦安シティマラソンも朝7時半ごろ中止決定、あと青梅マラソンも
早々に中止を決めました。浦安は7千人、青梅は2万人以上の
参加登録があったようで、出場を予定していたランナーは
本当に残念でしたね~。私は左足首の痛みが治まらず、今回は
天候にかかわらず出場しないつもりでいました。次回来月の
レースからは、体調を万全にして臨みたいと思います!
しかしこういった悪い条件のなかでレース経験を積むと、ふつうの
天気のときすごく楽に感じるでしょうね。まずは自分のケガを
早く治してから、練習を再開したいです。
さて静かな雪の日に家でゆっくり読んだのは、近年歴史ノンフィクション
ものに多く力作を輩出されている工藤美代子さんが昨年秋に上梓した
「良寛の恋~炎の女貞心尼」です。
江戸時代、越後の高徳な僧あるいは書家・歌人としてあまりにも有名な
良寛坊に、「恋」や「炎の女」の組み合わせはやや意外に思えますよね。
私が学生のころ、教職必修の教育学の先生がこの良寛の教えを授業で
取り上げたことを少し覚えていて、子どもと手毬やあそびうたなどを
通じて無心に遊ぶ、その純真さこそが誠の仏心である、というもの
だったと記憶しています。
その良寛が70歳のころ、越前国長岡の尼僧貞心と出会う。
24歳で出家した貞心尼はまだ30歳と若く、器量抜群かつ書も歌も
嗜むほど才気活発で、現代でいえば上昇志向の強いキャリア女性という
ところでしょうか。既に全国にその名を轟かせていた憧れの高僧良寛に、
初めて会ったときの感激の一首が残されています。
「君にかく あひ見ることのうれしさも まださめやらぬ 夢かとぞ思ふ」
歌は情感を豊かに強調するのが礼儀とはいえ、恋する女性の生命力を
躊躇なく表わしていて、圧倒されると同時に微笑ましくも感じます。
これに対する良寛の返歌も強く熱い。
「天が下に みつる玉より 黄金より 春のはじめの 君がおとづれ」
しかしながら二人とも仏の道に仕える身、出会いから良寛の死まで
5年にわたる睦まじき仲に、周囲の視線はやはり冷ややかなものも
あり、良寛和尚はやや距離を置こうと人目を気にするのですが、
さすがの貞心尼は度胸がすわっています。
「鳶はとび 雀はすずめ 鷺はさぎ 烏はからす なにかあやしき」
そして著者の工藤さんの想いが、文中私に特に強く感じられた部分は
こちら。
『恋しさに、ただただ歩く。その行為が私には、ふと羨ましく感じられた。
そうした時間の使い方を、私たち現代人は勿体なくてできない。電話や
メールは、いとも簡単に恋人や友人と連絡を取れる手段になっているが、
歩いて訪ねて行くまで、相手の様子がわからなかったら、不安や期待は
そのぶんだけ高まる。そしてやっと会えたときの喜びは、想像を絶する
ほど大きかったのではないか。
良寛の時代に比べると、人間関係はたしかに変わってしまった。人と
人との距離は、現代のほうが近くなったかもしれないが、その密度は
昔のほうが濃かった。
私はなぜか、うだるように暑い日中の東京にいながら、真冬の越後を
思いやった。厳寒の季節にも、貞心尼は雪を踏み分けて良寛のもとに
駆けつけた。それが難儀であればあるほど、彼女の愛情の深さが伝わる。
なによりも良寛が、その真心にほだされたろう。』
工藤美代子著「良寛の恋~炎の女 貞心尼」講談社
戒律の厳しい禅宗の僧侶であった良寛和尚と、素直で気の向くまま懸命に
良寛の最晩年を支え最期を看取った貞心尼。その真心に包まれて良寛は、
仏の世へもやすらかな気持ちで旅立てたのだと思います。
執着を捨てあるがまま、心の欲するまま素直に生きたこの二人を、
私たちがこの平成の世から禁断の恋うんぬんと叫びたてるのは、
はなはだ筋違いなこと、なのかも知れませんね。
ではまた、おやすみなさいzz...
今は情報網が発達して、連絡は用意に取れるようになって便利と言えば便利ですよね(その代表的なのがメールですね!)
ただ、それがいいというわけではありませんね。コミュニケーションが取れない分、気持ちが膨らむ事がありますよね。今はそういうのが昔に比べると希薄になってしまったのかもしれません。
今週テニスできるのが楽しみです。でも、足は様子見ながら、無理しないようにして下さいね!私も早く体調を戻しつつ歯を治療しないと。
携帯もネットもなかった時代が懐かしいね~。
この先も、驚くような技術がたくさん出てくるんだろうね。
さて週末、久しぶりにできそうです!
が、また雨かな?では