2009年06月27日
動的平衡
今日は暑いですね。朝からテニスサークルの練習に参加、
気持ちよく汗を流してきました。
夕方もランニングクラブで5千の記録会。前回昨年12月の
記録(21分5秒)をどのくらい更新できるか、あと内容も
前半できるだけ我慢して後半ペースアップできるかたちに
したいと思います。
さて今週読んだ本でとても面白かったのが、生物学者の
福岡伸一さんが2月に出したベストセラー「動的平衡」です。
著者は生粋の科学者でありながら、その冒頭から「生命」と「技術」
(バイオ-テクノロジー)はあまりよく馴染まず相性が悪い、
生命現象はテクノロジーの対象とはなり難い、と断言する。
それではいったい「生命」とは何なのか?
誰もが知りたいと願うその答えを探る"keyword"がまさに
表題である「動的平衡」なのだ、と主張しています。
「生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物で
摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や
細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けている
のである。
だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の
自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、
一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた
環境へと解き放たれていく。
つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや、
『通り抜ける』という表現も正確ではない。なぜなら、そこには
分子が『通り過ぎる』べき容れ物があったわけではなく、
ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も『通り過ぎつつある』
分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの
中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の方向を
保っている。その流れ自体が『生きている』ということなので
ある。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように
『動的平衡』という素敵な名前をつけた。
ここで私たちは改めて『生命とは何か?』という問いに答える
ことができる。『生命とは動的な平衡状態にあるシステムである』
という回答である。
そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的で
サスティナブル(持続性)を特徴とする生命というシステムは、
その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存している
のではなく、その流れがもたらす『効果』であるということだ。
生命現象とは構造ではなく、効果なのである。
サスティナブルであることを考えるとき、これは多くのことを
示唆してくれる。サスティナブルなものは常に動いている。
その動きは『流れ』、もしくは環境との大循環の輪の中にある。
サスティナブルは流れながらも、環境との間に一定の平衡状態を
保っている。
一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに
動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。サスティナブルは
動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。
それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことが
できる。
このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを
物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない
のがおのずと知れる。サスティナブルなものは、一見、不変の
ように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずか
ながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと
後になって『進化』と呼べることに、私たちは気づくのだ。
(中略)
生命、自然、環境・・そこで生起する、すべての現象の核心を
解くキーワード、それが《動的平衡》だと私は思う。間断なく
流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊すこと
以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないように
する方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを
選びとった。それが動的平衡である。」
福岡伸一「動的平衡」株式会社木楽舎刊
著者によると全ての生物は、分子が通り過ぎゆく容れ物
ですらなく、分解と再構成を繰り返す流れの中での、ほんの
一形態にしか過ぎないという。そうであればなお、
その死まで揺れ動き変化しつづける私たちは、よりよく
成長できる可能性に満ちている、と言えます。
サスティナブルな身体が、ピエロのごとく平行台の上で、
あるいは一輪車に乗って震えながらバランスを取り、
間断なく破壊と再生をしてくれている。望むように生きるために。
気持ちよく汗を流してきました。
夕方もランニングクラブで5千の記録会。前回昨年12月の
記録(21分5秒)をどのくらい更新できるか、あと内容も
前半できるだけ我慢して後半ペースアップできるかたちに
したいと思います。
さて今週読んだ本でとても面白かったのが、生物学者の
福岡伸一さんが2月に出したベストセラー「動的平衡」です。
著者は生粋の科学者でありながら、その冒頭から「生命」と「技術」
(バイオ-テクノロジー)はあまりよく馴染まず相性が悪い、
生命現象はテクノロジーの対象とはなり難い、と断言する。
それではいったい「生命」とは何なのか?
誰もが知りたいと願うその答えを探る"keyword"がまさに
表題である「動的平衡」なのだ、と主張しています。
「生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物で
摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や
細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けている
のである。
だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の
自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、
一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた
環境へと解き放たれていく。
つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや、
『通り抜ける』という表現も正確ではない。なぜなら、そこには
分子が『通り過ぎる』べき容れ物があったわけではなく、
ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も『通り過ぎつつある』
分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの
中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の方向を
保っている。その流れ自体が『生きている』ということなので
ある。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように
『動的平衡』という素敵な名前をつけた。
ここで私たちは改めて『生命とは何か?』という問いに答える
ことができる。『生命とは動的な平衡状態にあるシステムである』
という回答である。
そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的で
サスティナブル(持続性)を特徴とする生命というシステムは、
その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存している
のではなく、その流れがもたらす『効果』であるということだ。
生命現象とは構造ではなく、効果なのである。
サスティナブルであることを考えるとき、これは多くのことを
示唆してくれる。サスティナブルなものは常に動いている。
その動きは『流れ』、もしくは環境との大循環の輪の中にある。
サスティナブルは流れながらも、環境との間に一定の平衡状態を
保っている。
一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに
動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。サスティナブルは
動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。
それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことが
できる。
このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを
物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない
のがおのずと知れる。サスティナブルなものは、一見、不変の
ように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずか
ながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと
後になって『進化』と呼べることに、私たちは気づくのだ。
(中略)
生命、自然、環境・・そこで生起する、すべての現象の核心を
解くキーワード、それが《動的平衡》だと私は思う。間断なく
流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊すこと
以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないように
する方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを
選びとった。それが動的平衡である。」
福岡伸一「動的平衡」株式会社木楽舎刊
著者によると全ての生物は、分子が通り過ぎゆく容れ物
ですらなく、分解と再構成を繰り返す流れの中での、ほんの
一形態にしか過ぎないという。そうであればなお、
その死まで揺れ動き変化しつづける私たちは、よりよく
成長できる可能性に満ちている、と言えます。
サスティナブルな身体が、ピエロのごとく平行台の上で、
あるいは一輪車に乗って震えながらバランスを取り、
間断なく破壊と再生をしてくれている。望むように生きるために。