2007年11月29日
なんでもやる
こんばんは、今日は寒いですね。東京では雨になるかと思って
ましたが、降らずにすんでラッキーでした。
ところで私は、寒くて吐息が白くなったりすると、松任谷由美さんの
曲を連想することがあります。高校生の頃、気になる女の子と
初めてのデートのときに「わたしをスキーに連れてって」という
映画を観たせいなのかもしれません。。 ♪Blizzard Oh! Blizzard という
曲が、淡い想いと一緒に今でも小さく鳴り響きます。
そしてユーミンもある対談本で、こう言っています。
「私はきっと、歌でストーリーとか感情を伝えたいんじゃ
ないんですね。それよりも温度とか匂いを伝えたい。
そのことによって、たとえシチュエーションはちがっても、
リスナーの人たちのそれぞれの記憶や想い出が鮮明によみがえって
くるんじゃないかって。その曲を聴いた人の数だけ、いろんな
物語になる」
茂木健一郎著『芸術脳』新潮社(p.75・著者との対談部分)
あの有名な「ひこうき雲」や「卒業写真」なども、たまに聴くと
本当に良いですね~大好きです!!
さて明日で11月も終わり、とうとう師走なんですよね。
今年もまたあっという間に過ぎてしまいました。そして来年こそ、
少しは大人として成長したいものですが・・。
先日読んだ本によれば、この成長するということは「なんでも
やるという意志のこと」と書いてありました。有名な明治生まれの
気骨あふるる男、白州次郎を取り上げたこの本の一部を以下に
ご紹介したいと思います。
「ある辞典によれば、成長とは『からだや心が育って、一人前の状態に
なること』である。大人になること、ともいえそうである。
わたしの考える大人はこうである。
なんでもやる。
なんでもできる、ではない。なんでもやるという意志である。
なんでもやることによって、自分の輪郭を明確にする。必要なことは
継続すること、である。なにもしなくて、翌朝目が覚めたら、金持ちに
なっていた、ということはない。白州次郎には一貫してなにを成した
ということがない。しかし、原則を守るという原則は生涯やぶらなかった。
それが白州次郎という男の輪郭を明確にしている。
必要なことのもうひとつは、なんでもやることの基準をあくまでも
自分に求めるということだ。他人がやるからやる、ならやらないほうがいい。
輪郭が明確になるどころか、逆にボケることにしかならないからである。
自分の輪郭が明確になることは、自分に自信がつくということである。
自惚れではない、自分に対する信頼である。何事も持続することなくして
自信はつかない。再び、いう。なんでもできる、ではない。必要なこと、
正しいこと、美しいこと、そのように自分が判断したら『やる』のである。」
勢古浩爾著「白州次郎的」洋泉社刊
必要かつ正しくて美しいと自ら思うことを進んで行い、
「自身の存在の輪郭をはっきりさせること」がすなわち
大人なのだ、という著者の考えに賛成です。
声高に自分の主義主張を叫びちらすのではなく、正しく美しいと
考える行為を地道にし続けることで、自分を信頼できる大人へと
成長したいと思いました。
それでは、今週末は千葉房総でテニス合宿!楽しみです。
おやすみなさいzz...
ましたが、降らずにすんでラッキーでした。
ところで私は、寒くて吐息が白くなったりすると、松任谷由美さんの
曲を連想することがあります。高校生の頃、気になる女の子と
初めてのデートのときに「わたしをスキーに連れてって」という
映画を観たせいなのかもしれません。。 ♪Blizzard Oh! Blizzard という
曲が、淡い想いと一緒に今でも小さく鳴り響きます。
そしてユーミンもある対談本で、こう言っています。
「私はきっと、歌でストーリーとか感情を伝えたいんじゃ
ないんですね。それよりも温度とか匂いを伝えたい。
そのことによって、たとえシチュエーションはちがっても、
リスナーの人たちのそれぞれの記憶や想い出が鮮明によみがえって
くるんじゃないかって。その曲を聴いた人の数だけ、いろんな
物語になる」
茂木健一郎著『芸術脳』新潮社(p.75・著者との対談部分)
あの有名な「ひこうき雲」や「卒業写真」なども、たまに聴くと
本当に良いですね~大好きです!!
さて明日で11月も終わり、とうとう師走なんですよね。
今年もまたあっという間に過ぎてしまいました。そして来年こそ、
少しは大人として成長したいものですが・・。
先日読んだ本によれば、この成長するということは「なんでも
やるという意志のこと」と書いてありました。有名な明治生まれの
気骨あふるる男、白州次郎を取り上げたこの本の一部を以下に
ご紹介したいと思います。
「ある辞典によれば、成長とは『からだや心が育って、一人前の状態に
なること』である。大人になること、ともいえそうである。
わたしの考える大人はこうである。
なんでもやる。
なんでもできる、ではない。なんでもやるという意志である。
なんでもやることによって、自分の輪郭を明確にする。必要なことは
継続すること、である。なにもしなくて、翌朝目が覚めたら、金持ちに
なっていた、ということはない。白州次郎には一貫してなにを成した
ということがない。しかし、原則を守るという原則は生涯やぶらなかった。
それが白州次郎という男の輪郭を明確にしている。
必要なことのもうひとつは、なんでもやることの基準をあくまでも
自分に求めるということだ。他人がやるからやる、ならやらないほうがいい。
輪郭が明確になるどころか、逆にボケることにしかならないからである。
自分の輪郭が明確になることは、自分に自信がつくということである。
自惚れではない、自分に対する信頼である。何事も持続することなくして
自信はつかない。再び、いう。なんでもできる、ではない。必要なこと、
正しいこと、美しいこと、そのように自分が判断したら『やる』のである。」
勢古浩爾著「白州次郎的」洋泉社刊
必要かつ正しくて美しいと自ら思うことを進んで行い、
「自身の存在の輪郭をはっきりさせること」がすなわち
大人なのだ、という著者の考えに賛成です。
声高に自分の主義主張を叫びちらすのではなく、正しく美しいと
考える行為を地道にし続けることで、自分を信頼できる大人へと
成長したいと思いました。
それでは、今週末は千葉房総でテニス合宿!楽しみです。
おやすみなさいzz...
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