2007年11月22日
あとで食べよう
寒いですね~。朝8時、新宿駅西口の気温表示は5℃(!)に
なってました、もう冬なんでしょうか・・。さてとうとうあの
ミシュラン東京版が、今日発売になりましたね!昼に本屋さんで
ちらっと読みましたが、本当においしそうなお店ばかりでお値段も
それ相当。。そして東京の一部地域だけでダントツ世界一の
評価(1つ星以上が150店)ですから、大阪や京都、横浜他まで
含めると、日本全体ではとんでもない厚みのミシュランになるんで
しょうね。衛生面についても全く安心して食べられますし、
私たちは食に関してもまた素晴らしい国に住んでいるんだな、
と改めて思ってしまいました。
さて食べ物ついでですが、今日読んだ脳科学者の茂木健一郎さんが
去年書いた『すべては脳からはじまる』という本のなかで、
なぜ私たちは好きな食べものをとっておく(あとで食べる)のか、
という疑問に答えた箇所が共感できましたので、ちょっと読んで
みてください。
「ところで、人にもよるのだと思うが、私は(大好きな)ウニや
イクラは最後のほうで食べることが多い。お好みで注文していく
ときは、そろそろ終わりに、という頃に頼むし、定食のにぎりを
前にしたときも最後まで残しておく。周囲に聞くと、
「いや、好きなものから」という意見もあるが、とっておくという
人もやはり多い。大好きなものは、やっぱり最後まで残しておくのだ
と何気なく思っていたが、改めて考えると不思議である。
行動原理としては、美味いものはできるだけ早くというほうが
合理的な気がする。実際、人間の脳にとっては、基本的に「報酬」
(うれしいこと)は、それが早く与えられるほどよいということが
さまざまな実験でわかっている。報酬を待たされることは、
脳にとってつらい試練なのだ。よく耳にする冗談だが、それこそ、
いつ地震がきて逃げ出す羽目になるかもしれないし、誰かに隙を
突かれて食べられてしまうかもしれない。そんなリスクを避ける
ためには、好きなネタはとっとと食べてしまうに限る。
では、なぜ、もったいぶってとっておくのか?
このような行動を理解するための鍵は、どうやら未来についての
「予期」の中にあるようだ。
寿司屋のカウンターに座って寛いでいると、やがてほぼ確実に
好きなネタが食べられるという「予期」が脳の神経細胞の活動
として表現される。そのような活動があると、それに触発されて
脳の報酬系も活動する。ウニ、イクラを食べるということも
うれしいが、「そのうちウニ、イクラが食べられる」ことが
ほぼ確実にわかっているという予期自体がうれしいのである。
脳の中で、やがて確実に来る歓びを予期するということのうれしさは、
その実現を先延ばしにすればするほど長続きする。ウニ、イクラを
食べるのがあとになるほど、予期することの歓びは、それだけ
長いあいだ続く。だから、最後に食べる。
寿司ネタを食べる順番ぐらいで大げさのようではあるが、報酬
そのものではなく、報酬を予期すること自体が報酬になるという
ことは、人の脳にとっての「仮想」の持つ意味を考える上で大事な
ポイントになる。
ひょっとしたら、現実のウニ、イクラより、予期された仮想の
ウニやイクラのほうが美味いのかもしれない。そんなやっかいで
複雑な脳のはたらきが、寿司ネタを食べる順番のような単純な
ふるまいの中にも表れている。
現代の生活は便利になりすぎて、そもそも「待つ」ということが
極めて少ない。何でもインスタントにしてしまわないで、楽しみに
待つこともまた、予期することの歓びを耕すことにつながる。
寿司の教訓は単純なようで案外深い。」
茂木健一郎著「すべては脳からはじまる」中公新書
この文章を読んで、初めて積年の疑問がすっきり晴れた気がします。
予期し想像すること自体が脳にとって「報酬」になるんですね。
食べ物以外でも、たとえば旅行などは「計画しているときが最も
楽しい」とも言いますし。また人を待つことも、もうすぐ
恋人や友人など親しい人がやって来るというと、なんとなく
そわそわしたりして、これも「予期する歓び」だったんですね~。
ちなみに私が小さいころ飼っていた犬は、骨など大好物をもらうと
すぐに深く穴を掘り埋めて隠してしまいました。ひょっとしてこの
複雑な「歓び」を知っていたのかもね。しかし不幸なことに、
隠したところをすぐに忘れてしまい、色んな場所に穴を掘っても
ほっても二度と見つけられない、可哀想な犬だったのですが・・。
そして私も、報酬を予期する歓喜と、想像もつかない絶望の
あいだを日々彷徨って暮しているのかもしれませんね。。
それでは、おやすみなさいzz...
なってました、もう冬なんでしょうか・・。さてとうとうあの
ミシュラン東京版が、今日発売になりましたね!昼に本屋さんで
ちらっと読みましたが、本当においしそうなお店ばかりでお値段も
それ相当。。そして東京の一部地域だけでダントツ世界一の
評価(1つ星以上が150店)ですから、大阪や京都、横浜他まで
含めると、日本全体ではとんでもない厚みのミシュランになるんで
しょうね。衛生面についても全く安心して食べられますし、
私たちは食に関してもまた素晴らしい国に住んでいるんだな、
と改めて思ってしまいました。
さて食べ物ついでですが、今日読んだ脳科学者の茂木健一郎さんが
去年書いた『すべては脳からはじまる』という本のなかで、
なぜ私たちは好きな食べものをとっておく(あとで食べる)のか、
という疑問に答えた箇所が共感できましたので、ちょっと読んで
みてください。
「ところで、人にもよるのだと思うが、私は(大好きな)ウニや
イクラは最後のほうで食べることが多い。お好みで注文していく
ときは、そろそろ終わりに、という頃に頼むし、定食のにぎりを
前にしたときも最後まで残しておく。周囲に聞くと、
「いや、好きなものから」という意見もあるが、とっておくという
人もやはり多い。大好きなものは、やっぱり最後まで残しておくのだ
と何気なく思っていたが、改めて考えると不思議である。
行動原理としては、美味いものはできるだけ早くというほうが
合理的な気がする。実際、人間の脳にとっては、基本的に「報酬」
(うれしいこと)は、それが早く与えられるほどよいということが
さまざまな実験でわかっている。報酬を待たされることは、
脳にとってつらい試練なのだ。よく耳にする冗談だが、それこそ、
いつ地震がきて逃げ出す羽目になるかもしれないし、誰かに隙を
突かれて食べられてしまうかもしれない。そんなリスクを避ける
ためには、好きなネタはとっとと食べてしまうに限る。
では、なぜ、もったいぶってとっておくのか?
このような行動を理解するための鍵は、どうやら未来についての
「予期」の中にあるようだ。
寿司屋のカウンターに座って寛いでいると、やがてほぼ確実に
好きなネタが食べられるという「予期」が脳の神経細胞の活動
として表現される。そのような活動があると、それに触発されて
脳の報酬系も活動する。ウニ、イクラを食べるということも
うれしいが、「そのうちウニ、イクラが食べられる」ことが
ほぼ確実にわかっているという予期自体がうれしいのである。
脳の中で、やがて確実に来る歓びを予期するということのうれしさは、
その実現を先延ばしにすればするほど長続きする。ウニ、イクラを
食べるのがあとになるほど、予期することの歓びは、それだけ
長いあいだ続く。だから、最後に食べる。
寿司ネタを食べる順番ぐらいで大げさのようではあるが、報酬
そのものではなく、報酬を予期すること自体が報酬になるという
ことは、人の脳にとっての「仮想」の持つ意味を考える上で大事な
ポイントになる。
ひょっとしたら、現実のウニ、イクラより、予期された仮想の
ウニやイクラのほうが美味いのかもしれない。そんなやっかいで
複雑な脳のはたらきが、寿司ネタを食べる順番のような単純な
ふるまいの中にも表れている。
現代の生活は便利になりすぎて、そもそも「待つ」ということが
極めて少ない。何でもインスタントにしてしまわないで、楽しみに
待つこともまた、予期することの歓びを耕すことにつながる。
寿司の教訓は単純なようで案外深い。」
茂木健一郎著「すべては脳からはじまる」中公新書
この文章を読んで、初めて積年の疑問がすっきり晴れた気がします。
予期し想像すること自体が脳にとって「報酬」になるんですね。
食べ物以外でも、たとえば旅行などは「計画しているときが最も
楽しい」とも言いますし。また人を待つことも、もうすぐ
恋人や友人など親しい人がやって来るというと、なんとなく
そわそわしたりして、これも「予期する歓び」だったんですね~。
ちなみに私が小さいころ飼っていた犬は、骨など大好物をもらうと
すぐに深く穴を掘り埋めて隠してしまいました。ひょっとしてこの
複雑な「歓び」を知っていたのかもね。しかし不幸なことに、
隠したところをすぐに忘れてしまい、色んな場所に穴を掘っても
ほっても二度と見つけられない、可哀想な犬だったのですが・・。
そして私も、報酬を予期する歓喜と、想像もつかない絶望の
あいだを日々彷徨って暮しているのかもしれませんね。。
それでは、おやすみなさいzz...