2009年02月12日
さようなら
なぜかこのところ「別れ」を意識することが続いています。
通信や交通の発達した現代社会ですし、特別それは永遠の
離別を覚悟する、というほどのものでもないけれど。
心のうちで呟く「さようなら」ということばに少し関心を持って
いたら、アメリカの旅行作家リンドバーグも横浜港を訪れた際、
互いに別れる人々のあいだで船と岸を繰り返し行き来していた
この「サヨナラ」という不思議なことばのことをこう書き留めて
いるようです。
「『サヨナラ』を文字どおりに訳すと『そうならなければ
ならないのなら』という意味だという。これまで耳にした
別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉を
わたしは知らない。(See youのように)別れの痛みを
再会の希望によって紛らそうという試みをしない。
(Farewell・お元気でのように)目をしばたいて涙を
健気に抑えて告げ、別離の苦い味わいを避けてもいない。
『サヨナラ』は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をありのままに受け入れている。人生の理解の
すべてがこの四音のうちにこもっている。ひそかに
くすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに
埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。
言葉にしないGood-by(神があなたとともにあるように)
であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ『サヨナラ』は。」
竹内整一「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」
ちくま新書
今夜観たW杯サッカーアジア最終予選・対オーストラリア戦で
試合前、今年オーストラリアで発生した大規模な山火事の
犠牲者やご遺族を弔い「黙とう」を捧げていました。
宗教や民族を超えた無言の祈りは、何も語らず静かに、事実を
ありのまま受け入れる、という意味で「さようなら」の暖かさに
似ているかもしれませんね。
また、繰り返し読んでいる谷川俊太郎さんのこのような詩も
思い出しました。特に前半部の「よいことは~」という箇所は、
仏教の無常観にも連なり共感できますし、有名な後半部の
花を摘むところは、、私は何度読んでもどこか新鮮で、初々しい
気持ちになります。
わたしは かじりかけのりんごをのこして
しんでいく
いいのこすことは なにもない
よいことは つづくだろうし
わるいことは なくならぬだろうから
わたしには くちずさむうたがあったから
さびかかった かなづちがあったから
いうことなしだ
わたしの いちばんすきなひとに
つたえておくれ
わたしは むかしあなたをすきになって
いまも すきだと
あのよで つむことのできる
いちばんきれいな はなを
あなたに ささげると
谷川俊太郎「しぬまえにおじいさんのいったこと」
さて週末は第43回青梅マラソン!初参加ですけれど、歴史ある
大会ですので雰囲気や景色を楽しみながらも、30キロしっかり
走ってきたいと思っています。
通信や交通の発達した現代社会ですし、特別それは永遠の
離別を覚悟する、というほどのものでもないけれど。
心のうちで呟く「さようなら」ということばに少し関心を持って
いたら、アメリカの旅行作家リンドバーグも横浜港を訪れた際、
互いに別れる人々のあいだで船と岸を繰り返し行き来していた
この「サヨナラ」という不思議なことばのことをこう書き留めて
いるようです。
「『サヨナラ』を文字どおりに訳すと『そうならなければ
ならないのなら』という意味だという。これまで耳にした
別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉を
わたしは知らない。(See youのように)別れの痛みを
再会の希望によって紛らそうという試みをしない。
(Farewell・お元気でのように)目をしばたいて涙を
健気に抑えて告げ、別離の苦い味わいを避けてもいない。
『サヨナラ』は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をありのままに受け入れている。人生の理解の
すべてがこの四音のうちにこもっている。ひそかに
くすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに
埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。
言葉にしないGood-by(神があなたとともにあるように)
であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ『サヨナラ』は。」
竹内整一「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」
ちくま新書
今夜観たW杯サッカーアジア最終予選・対オーストラリア戦で
試合前、今年オーストラリアで発生した大規模な山火事の
犠牲者やご遺族を弔い「黙とう」を捧げていました。
宗教や民族を超えた無言の祈りは、何も語らず静かに、事実を
ありのまま受け入れる、という意味で「さようなら」の暖かさに
似ているかもしれませんね。
また、繰り返し読んでいる谷川俊太郎さんのこのような詩も
思い出しました。特に前半部の「よいことは~」という箇所は、
仏教の無常観にも連なり共感できますし、有名な後半部の
花を摘むところは、、私は何度読んでもどこか新鮮で、初々しい
気持ちになります。
わたしは かじりかけのりんごをのこして
しんでいく
いいのこすことは なにもない
よいことは つづくだろうし
わるいことは なくならぬだろうから
わたしには くちずさむうたがあったから
さびかかった かなづちがあったから
いうことなしだ
わたしの いちばんすきなひとに
つたえておくれ
わたしは むかしあなたをすきになって
いまも すきだと
あのよで つむことのできる
いちばんきれいな はなを
あなたに ささげると
谷川俊太郎「しぬまえにおじいさんのいったこと」
さて週末は第43回青梅マラソン!初参加ですけれど、歴史ある
大会ですので雰囲気や景色を楽しみながらも、30キロしっかり
走ってきたいと思っています。