2008年08月21日
黙すこと
こんばんは。少し涼しい気候が続いていますね。夜は連日、激しい雨が
降りますけれど、数十分で通り過ぎていっちゃいます。東京もスコールが
当り前の地域になるのかも。。
さて先日セカンドウインドの練習会に参加した際、30分ほど早めに
着いたので週末のレースのためと、月間の目標距離を稼ごうと本練習前に
トラック外周を走っていたら、先に着いていたメンバーの男性とたまたま
一緒になりました。色々レースの話や合宿の話をしたあと、お仕事は~?
と尋ねてみたら・・なんと50代のその方は抽象画の絵描きさん!でした。
大手銀行をこの春退職し、今は絵筆で生計を立てていらっしゃるとのこと
です。この方、ランニング歴も半端ではなく、フルはもちろん、100キロ
ウルトラや24時間耐久レースなども無数に出られてきたようで、その
武勇伝だけでもすごく面白かったです。Yさん、あまり理解できないとは
思いますが、個展でその抽象画をぜひ見せてくださいね~!!
さて、昨日駅キオスクで買った政治経済誌「ウエッジ」9月号を読んで
いたら、京都の書家、石川九楊(きゅうよう)さんの記事にふと目が
留まりました。言葉がとにかく軽い今の時代に批判的な石川さんは、
私たちが内面を修養し、言葉に魂を取り戻すには一体どうしたらよいのか、
その答えを見出すためのヒントをいくつか示唆してくれています。
「近頃、殺人事件が起きると『誰でもよかった』という加害者の
声が報じられます。誰でもいいとは、自分と『それ以外』という
区切りで人間を見ているということです。社会は、生物の免疫系の
ように自己と非自己で成り立っていると錯覚し、アレルギー反応的
犯罪が多発しています。
しかし、人間は文化的存在ですから、本当は自己と他者から成って
います。自己ではないけれど、自己が映しこまれている関係をもつ
非自己が『他者』です。他者を包み込むことによって人間社会は
成立しているのです。」
「精神の成長と発達は、肉体のそれのように、最初からDNAで保証
され、自動的に得られるものではありません。母親、家族、学校、
社会と、段階に応じて日常不断に言葉を獲得し、これを養うことに
よってもたらされるものです。この言葉=精神のはたらきによって、
私たちは生物学的存在であるヒトから、人間という文化的存在になる。
だから、言葉こそ人間であると言っていい。」
「話し言葉では、話した後、言い足りなかったとか言い過ぎたとか
いう不安や怖さにつきまとわれませんか?書くとは、自己との対話
であり、社会との対話です。表現するときに立ち止まり、自省し、
葛藤する。そうした思索を経てから外に出すものです。」
雑誌「WEDGE」2008年9月号・P116~118
学生時代、本や映画、音楽など趣味がすごく近い友人がいて、いつも
時間を忘れて話をしていました。そして調子に乗ってたくさん
話しているときこそよく、「話すことって相手に伝えることである
と同時に、自分に向って問いただすこと」なのかも、と思って
いたのです。
特に高みから見下ろしてなされる、他人への厳しい批判などは、
そのまま自分に跳ね返ってきますものね。
私たちは有名なインドの詩聖タゴールによる短詩にならい、
ときには立ち止まって黙(もだ)すことを学び、より大きな真実に
思いを馳せる必要があるのかもしれない、と思いました。
鉢の中の水はきらめいている/
海の水は暗い/
小さな真実は明晰な言葉をもつが/
大きな真実は大きな沈黙をもっている/
それでは、明日は葛西臨海公園ナイトラン10K、夜7時半スタートです。
がんばりまーす!おやすみなさいzz...
降りますけれど、数十分で通り過ぎていっちゃいます。東京もスコールが
当り前の地域になるのかも。。
さて先日セカンドウインドの練習会に参加した際、30分ほど早めに
着いたので週末のレースのためと、月間の目標距離を稼ごうと本練習前に
トラック外周を走っていたら、先に着いていたメンバーの男性とたまたま
一緒になりました。色々レースの話や合宿の話をしたあと、お仕事は~?
と尋ねてみたら・・なんと50代のその方は抽象画の絵描きさん!でした。
大手銀行をこの春退職し、今は絵筆で生計を立てていらっしゃるとのこと
です。この方、ランニング歴も半端ではなく、フルはもちろん、100キロ
ウルトラや24時間耐久レースなども無数に出られてきたようで、その
武勇伝だけでもすごく面白かったです。Yさん、あまり理解できないとは
思いますが、個展でその抽象画をぜひ見せてくださいね~!!
さて、昨日駅キオスクで買った政治経済誌「ウエッジ」9月号を読んで
いたら、京都の書家、石川九楊(きゅうよう)さんの記事にふと目が
留まりました。言葉がとにかく軽い今の時代に批判的な石川さんは、
私たちが内面を修養し、言葉に魂を取り戻すには一体どうしたらよいのか、
その答えを見出すためのヒントをいくつか示唆してくれています。
「近頃、殺人事件が起きると『誰でもよかった』という加害者の
声が報じられます。誰でもいいとは、自分と『それ以外』という
区切りで人間を見ているということです。社会は、生物の免疫系の
ように自己と非自己で成り立っていると錯覚し、アレルギー反応的
犯罪が多発しています。
しかし、人間は文化的存在ですから、本当は自己と他者から成って
います。自己ではないけれど、自己が映しこまれている関係をもつ
非自己が『他者』です。他者を包み込むことによって人間社会は
成立しているのです。」
「精神の成長と発達は、肉体のそれのように、最初からDNAで保証
され、自動的に得られるものではありません。母親、家族、学校、
社会と、段階に応じて日常不断に言葉を獲得し、これを養うことに
よってもたらされるものです。この言葉=精神のはたらきによって、
私たちは生物学的存在であるヒトから、人間という文化的存在になる。
だから、言葉こそ人間であると言っていい。」
「話し言葉では、話した後、言い足りなかったとか言い過ぎたとか
いう不安や怖さにつきまとわれませんか?書くとは、自己との対話
であり、社会との対話です。表現するときに立ち止まり、自省し、
葛藤する。そうした思索を経てから外に出すものです。」
雑誌「WEDGE」2008年9月号・P116~118
学生時代、本や映画、音楽など趣味がすごく近い友人がいて、いつも
時間を忘れて話をしていました。そして調子に乗ってたくさん
話しているときこそよく、「話すことって相手に伝えることである
と同時に、自分に向って問いただすこと」なのかも、と思って
いたのです。
特に高みから見下ろしてなされる、他人への厳しい批判などは、
そのまま自分に跳ね返ってきますものね。
私たちは有名なインドの詩聖タゴールによる短詩にならい、
ときには立ち止まって黙(もだ)すことを学び、より大きな真実に
思いを馳せる必要があるのかもしれない、と思いました。
鉢の中の水はきらめいている/
海の水は暗い/
小さな真実は明晰な言葉をもつが/
大きな真実は大きな沈黙をもっている/
それでは、明日は葛西臨海公園ナイトラン10K、夜7時半スタートです。
がんばりまーす!おやすみなさいzz...