2007年04月28日
ロング・グッドバイ
こんばんは!昨日は夕方雷雨にあたりましたが、
今日は落ち着いた天気で春らしい一日でした。
いつもの図書館に随分前から予約していた
村上春樹新訳の話題本、レイモンド・チャンドラー
"The Long Goodbye(「長いお別れ」1953年初版)"
が入荷し、さきほど受け取りました。
本のデザインもカッコ良いです↓
連休前に来るといいなーと思っていたのでラッキー!
あの名文句「タフでなければ生きていけない、
優しくなければ~」と謳う探偵フィリップ・マーロウが
主人公の物語。旧訳で高校時代に一度読んだのですが、
訳者によって特に文章のリズムが違うし、なにせ久しぶりなので
今回はどんな風かすごく楽しみです。
今でもぼんやり覚えているのは、50年も昔のアメリカ人も
現代に生きる私たちも、大切にしていることや
考えるべきテーマはなんだ全く同じなんだな、と感じたこと。
愛と友情、裏切りと別れ、生と死・・。
次の有名な台詞も含蓄がありますね。
To say goodbye is to die a little.
(さよならを言うことは少し死ぬことだ)
別れとは、自分の思い出の一部を残してひっそり去っていくこと、
という意味だと思いますが、なかなか味のある言葉ですね。
読み終わったら、また感想書きたいと思います。
さてこの間ユングの話を書きましたが、ユングは興味深い考えが
たくさんあって私は大好きなので、うまく説明できるか不安ですが
またひとつ紹介したいと思います。
それは "unlived part of the self(生きられていない
自分の半面)"という考えです。
人はうまれてから死ぬまでのあいだ、無数の選択肢の中から
当然一つだけを選び続けて生きていきます。
AとB、どちらにしようか悩んだ末にAを選択したのであれば、
Bは達成されなかった自分としてその人の人生に残っていく。
それら選ばずに生きてこなかった自分の無数の半面、無意識の
中に放り投げられているこれらの自分の半面にときおり
光をあてていくことが、真の自己全体をみつめることだと
いうことのようです。
もちろん今の現実生活を破壊したり、自分探しの旅に
出かけることを勧めているわけではありません。
自分の生きてこなかった部分の存在を改めて意識すること
によって、今の自分の選択の集積を肯定しつつ、自分を
バランスよく統合させて人生をより豊かにできる、そんな
くらいの意味だと思います。
そういえば私のこのブログも、書くことでいつもスッキリした
気分になるんですが、自分の無意識の中の部分をたまに
虫干ししているような感じなのかもしれませんね。
明日は車のオイルを交換したあと、いつもの松戸で4時間
ダブルス練習に参加させてもらう予定です。午後は雨かな?
ではおやすみなさいzz...
今日は落ち着いた天気で春らしい一日でした。
いつもの図書館に随分前から予約していた
村上春樹新訳の話題本、レイモンド・チャンドラー
"The Long Goodbye(「長いお別れ」1953年初版)"
が入荷し、さきほど受け取りました。
本のデザインもカッコ良いです↓
連休前に来るといいなーと思っていたのでラッキー!
あの名文句「タフでなければ生きていけない、
優しくなければ~」と謳う探偵フィリップ・マーロウが
主人公の物語。旧訳で高校時代に一度読んだのですが、
訳者によって特に文章のリズムが違うし、なにせ久しぶりなので
今回はどんな風かすごく楽しみです。
今でもぼんやり覚えているのは、50年も昔のアメリカ人も
現代に生きる私たちも、大切にしていることや
考えるべきテーマはなんだ全く同じなんだな、と感じたこと。
愛と友情、裏切りと別れ、生と死・・。
次の有名な台詞も含蓄がありますね。
To say goodbye is to die a little.
(さよならを言うことは少し死ぬことだ)
別れとは、自分の思い出の一部を残してひっそり去っていくこと、
という意味だと思いますが、なかなか味のある言葉ですね。
読み終わったら、また感想書きたいと思います。
さてこの間ユングの話を書きましたが、ユングは興味深い考えが
たくさんあって私は大好きなので、うまく説明できるか不安ですが
またひとつ紹介したいと思います。
それは "unlived part of the self(生きられていない
自分の半面)"という考えです。
人はうまれてから死ぬまでのあいだ、無数の選択肢の中から
当然一つだけを選び続けて生きていきます。
AとB、どちらにしようか悩んだ末にAを選択したのであれば、
Bは達成されなかった自分としてその人の人生に残っていく。
それら選ばずに生きてこなかった自分の無数の半面、無意識の
中に放り投げられているこれらの自分の半面にときおり
光をあてていくことが、真の自己全体をみつめることだと
いうことのようです。
もちろん今の現実生活を破壊したり、自分探しの旅に
出かけることを勧めているわけではありません。
自分の生きてこなかった部分の存在を改めて意識すること
によって、今の自分の選択の集積を肯定しつつ、自分を
バランスよく統合させて人生をより豊かにできる、そんな
くらいの意味だと思います。
そういえば私のこのブログも、書くことでいつもスッキリした
気分になるんですが、自分の無意識の中の部分をたまに
虫干ししているような感じなのかもしれませんね。
明日は車のオイルを交換したあと、いつもの松戸で4時間
ダブルス練習に参加させてもらう予定です。午後は雨かな?
ではおやすみなさいzz...